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  • 1/YASAKA 太田章彦さん

    1/YASAKA 太田章彦さん

    「進取果敢」
    _自ら進んで積極的に事を成し、決断力が強く大胆に突き進むさま。

    まえがき

    今回の聞き書きでは、ふるさと体験村のマネージャーをしている太田章彦さんにお話を伺いました。松江、海士町で過ごし、弥栄にやってきてからもチャレンジを続けている太田さんはまさに「進取果敢」。アイディアマンの太田さんが、日々どんな風に物事を捉え、どんなことを考えているのかぜひ読んでみてください。

    現在:めんどくさいっていうのはとても良くないことなんですけど、日々そんな事ばかり考えてる。けど一方で、なんか楽しいことしたいなっていつも思っている。

    過去:繋がってるから今にいるとは思うんだけど、無理に繋げることでもないかな、と思ったり。

    未来:仕事が出来て、気分がいい人になりたいなと思います。いつでもご機嫌な人に。

    現在:めんどくさいっていうのはとても良くないことなんですけど、日々そんな事ばかり考えてる。けど一方で、なんか楽しいことしたいなっていつも思っている。

    永浦 現在のご職業からお願いします。

    太田 職業は、ふるさと体験村というところでマネージャーをしています。

    永浦 具体的にどういうお仕事内容ですか?

    太田 宿泊施設と飲食をやっているところです。

    永浦 ふるさと体験村自体はどういう?

    太田 山の上にある施設なんですけど、体験村自体は35年前ぐらいに作り始められた構想で、その構想を元にどんどん施設が建って行ったんですけど、道半ばで2回、3回潰れていて。でもまた3年前に事業を再開したという感じになっています。

    永浦 どういう流れでやることになったんですか?

    太田 やる流れになったのは、もちろん「やらせてください」って言って、ライバルがいなかったんでやらせてもらえてるんですけど。島を出るときにいつかは弥栄に住みたいなと思っていて、そのいつかがもしかしたら今かもしれないなっていう風に思って。

    で、そんな時にふるさと体験村の求人募集してるぞみたいな話になって。まあそんな仕事、勇者じゃないとやらないから、やりますって言って手を挙げてやる流れになりました。

    永浦 実際にやってみてどういうところが難しいとか、逆に楽しいとかありますか?

    太田 そもそも僕はあんまり数字得意じゃないし、経営とかやったことなくて。経営的なスキルが自分にない、やったこともないしっていう、世間一般の経営者からも見るとマイナススタートな能力で、かつ普通の経営者から見たらどう考えてもあそこで採算合わせるの無理なんだけどっていうのが、状況的にもムズ、能力的にもムズな感じで。

    ある種のうまくいくわけないっていうふうな構造の中でチャレンジ出来てるから気が楽というか。うまくいかなくてもそれはそうでしょうって。うまくいったら面白いし、こんな経験なかなかできない、させてもらえないっていうのが楽しいと。

    永浦 ありがとうございます。他にやられていることはありますか?

    太田 他は、最近でいうと「弥栄町複業協同組合」ってご存知ですか?

    永浦 知って、、います!

    太田 その立ち上げに少し関わらせてもらってまして。

    永浦 どういう経緯で立ち上げたんですか?

    太田 これも体験村なんだけど。体験村って冬季休業するんで、1、2、3月は休みになっちゃうんですよ、施設としては。そうなるとその3ヶ月間は食わせることが出来ないので、結局みんなパートで雇ってその期間はよきに計らってください、で、また4月からっていう風なことをやってるけど、そういうのって本当に身内の身内にしか許されない戦法というか。

    それが前提の一方で体験村をより良くしていきたいなって思った時に、一括りにはできないけど優秀な人材が欲しいな~若くて勢いのある、ってなったんだけど、弥栄の中にそんな人材はいない。いたとしてもすでに他で活躍されている。から、じゃあ外から取ってくるしかないな。だけど外から取れない、通年雇用できないから。あれ、これなんか前職でやってたな、じゃあ立ち上げるかっていう。

    永浦 思ってから実際にやるまではどのくらいの期間がかかったんですか?

    太田 2年。

    永浦 2年。そんなに長かったんですね。

    太田 いや、2年かけてやったっていう言い方の方が正しいと思う。

    永浦 段階を踏んで?

    太田 そう。

    永浦 どういう段階を踏んだんですか?

    太田 2年かけてもまだまだ良かった点と悪かった点はあるんですけど。そもそも「特定地域づくり事業協働組合」っていう制度ってとても難解なもので、なんじゃそりゃ?から始まるところを、えいやって作ったところでハレーションすごいだろうなと思って。

    ある程度理解者を増やしていくってところで、シンポジウムを定期的に開いて、なんか弥栄にもこんな制度があったらこんな風に町が変わっていくかもしれないなとか。っていう妄想をみんなで繰り返して、ようやくできたっていうそんな2年でした。

    永浦 お疲れ様でした…。

    話は変わるんですけど、最近のマイブームはありますか?

    太田 マイブームか、マイブーム、、、マイブームか……..。あ、でもね、マラソン!と揚げ物!

    永浦 マラソンと揚げ物。

    太田 うん、かなりアツいね。

    永浦 なんでハマってるんですか?

    太田 マラソンは、まあ1つはマラニックっていう目標があるから、出るからには練習しないと走れないだろうなと思って走り始めたんだけど。なんか最近、肩こりとか腰痛とか、全体的な体のだるさとか、そういうのが多くて。お酒も毎日張り切って飲むし。仕事はさぼりながら…色々やってるんだけど。

    ちょっと前まではサウナがいいなと思って、今も好きなんだけど。汗かくだけじゃなんか物足りないみたいなので、マラソンすることで体がちょっとずつ矯正されていくじゃないけど。そういう感覚っていう。

    永浦 体調良くなりました?

    太田 良くなりました。

    永浦 おぉ~!すごい。

    太田 なんですよ。なので、すごく体にいいなと思うんで、みんなにおすすめしたいぐらいです。

    永浦 揚げ物は?

    太田 揚げ物は元々好きなんだけど。いや、あの、僕は揚げ物本当に上手なんですよ。何ですけど、特別なことはないんですけど、シンプルに味付けして、丁寧に粉付けて、卵を塗って、パン粉丁寧につけて。それだけなんだけど、めちゃくちゃ美味しいんですよ。

    永浦 何を揚げるんですか?

    太田 今まではアジフライとバトウフライを作ってたんですけど、最近は春巻きとか唐揚げとか天ぷらとか。そういうのも揚げるスキルがどんどん上がってきていて。めっちゃ美味しいんだよね。

    永浦 ぜひ食べたい、食べた…(食べたことあります、本当に美味しい!!!)

    太田 多分食べてると思うけどね。

    永浦 はい。日々どういうことを考えたり意識して生きていますか?

    太田 日々ね、めんどくさがりなのよ。もうめんどくさい。出来れば何もしたくない。でも、めんどくさいって思うことは何かビジネスチャンスだなとか効率化できるなみたいに繋いで日々生きているとこです。

    永浦 めんどくさいけど、とりあえずやるっていう?

    太田 そう、やらなきゃいけないから。電話がかかってくるとかも、は~めんどくさいってなるし。

    永浦 でも頑張って出る。

    太田 うん、出なきゃいけないから。とか、急な来客とか、あ~めんどくさってなるけど、出るし。めんどくさいっていうのはとても良くないことなんですけど、日々そんな事ばかり考えてる。けど一方で、なんか楽しいことしたいなっていつも思っている。それは長期スパンと短期スパンで。

    短期スパンは、今日飲みたいなとか、あぁ明日飲みたいなみたいな、すぐ出来る楽しいこと。まぁ全部飲み会なんだけど。隙あらばねじ込んで飲み会開きたくなるし。長期で言ったら、旅行の計画立てたりとか。それこそ今やろうとしているバンドもそうだよね。明日、明後日、みんなすぐに出来るわけじゃないけど、みんなでこういうことが出来るんだったら面白そうだなっていうそんな。

    永浦 ありがとうございます。

    過去:繋がってるから今にいるとは思うんだけど、無理に繋げることでもないかな、と思ったり。

    永浦 じゃあ過去のお話にいくんですけど。ご出身はどちらですか?

    太田 出身は島根県の松江市です。

    永浦 幼少期は松江で過ごした?

    太田 うん、高校まで松江でした。

    永浦 どんな子供でしたか?

    太田 虫博士でした。で、オセロがめっちゃ強かった。

    永浦 珍しい、子供で?なんの虫が好きでしたか?

    太田 小学生の時にタガメ飼ったりとか、メダカとか、クワガタとか。なんか色んな生き物飼ってた。

    永浦 ペットとして?

    太田 うん、餌あげたりしてたな。

    永浦 周りの人からはどういう子だねって言われてましたか?

    太田 「ひょうきん」だね。けどひょうきんの意味はよく分からない。

    永浦 おちゃらけてた?

    太田 おちゃらけてたね。

    永浦 習い事とかやられてましたか?

    太田 うん、沢山やってた。

    永浦 何をしてたんですか?

    太田 プールと習字とピアノ。で、サッカー部だったから。

    永浦 いっぱいですね。

    太田 サッカー部に入ったタイミングで水泳を辞め、習字は全然上達しなかったから辞め。あ~、ピアノはなんか続いてたよ。

    永浦 ピアノは何歳から始めてたんですか?

    太田 幼稚園入る前からやってた。だから字が読めなくても先に譜面が読めてたね。

    永浦 始めたきっかけは?

    太田 きっかけはお姉ちゃんがやってたからで、家にピアノがあったから。

    永浦 幼稚園で一番記憶に残ってることはありますか?

    太田 何が記憶に残ってるかな…。あんまり記憶にないんだよね。…覚えてないな。

    永浦 松江はどういう町ですか?

    太田 松江はいいところだよ。程よい地方の都市って感じ。

    永浦 人はいっぱいいますか?

    太田 人はいるけど。そうだな。…松江好きだったけどな。

    永浦 小学校に上がってから、幼少期と変わったことはありますか?

    太田 幼稚園の時は本当に虫が好きだったのよ。で、小学校に入ってからは縄跳びをずっとしてたと思うな。

    永浦 何跳びが好きでしたか?

    太田 二重跳び。

    永浦 一人でやってたんですか?みんなで?

    太田 いやいや。みんなで。小学校の時…でもピアノは楽しかったな。サッカーも楽しかった。

    永浦 サッカーはクラブチームに入ってやってたんですか?

    太田 いや、部活だね。

    永浦 小学校から部活があったんですか?

    太田 あるある。サッカー部。

    永浦 何年生から入るんですか?

    太田 4年から。

    永浦 何人ぐらいいたんですか?

    太田 20人ぐらいいたんじゃないかな。

    永浦 あ、ちゃんと戦えるんですね。

    太田 戦える。Aチーム、Bチームあった。

    永浦 小学校の思い出はサッカーとピアノですか?

    太田 そうだね、小学校の思い出はサッカー…サッカーだな。なんか強いチームに勝てそうで負けて予選敗退したんだよ。

    永浦 学校対抗で出るんですか?

    太田 その時はもうクラブチームごっちゃで大会があって、強いチームと練習試合なんかもやるんだけど、5対0とか6対0とかで負けてたチームに、本選で当たって前半0対0、後半1点入れました、そこから2点入れられました、で予選敗退みたいな。ですよねって。

    永浦 学校から帰ってきたらどういうことをしてたんですか?

    太田 学校から帰ったら何してたんだろうな。おやつ食べて、友達んちに遊びに行ってたかな。

    永浦 友達いっぱいタイプでしたか?

    太田 友達いっぱいタイプだね、多分。友達多かったと思うな。

    永浦 人間好きですか?

    太田 いや、なんとも言えない。好きな人は好き。そこまで合わせなかったと思う。

    永浦 中学校に上がります、中学校は何部でしたか?

    太田 サッカー部。

    永浦 サッカー部、そのまま。サッカーの何が楽しかったですか?

    太田 サッカーはね、やっぱり友達が楽しかったね。

    永浦 中学校で思い出深いことはありますか?

    太田 中学校は…ピアノだな。

    永浦 ハマってたものとかありますか?

    太田 中学の時は姉の影響でインディーズのバンドとかすごい聴いてたと思う。

    永浦 どういうのですか?

    太田 それこそゴイステとかあの辺。ハイスタのちょっとそれより先か。

    永浦 お姉さんとは仲良いんですか?

    太田 今は仲良くなったけど、当時は全然。

    永浦 でも音楽は影響受けるくらいの仲の良さ?

    太田 まぁ、これを聴きなさいって感じだったね。どっちかっていうとそういう素養がない人はダサいっていう風な教育を施されていた。当時住んでた家は姉が隣の部屋にいたんだけど、3つ違うから俺が中学生の時高校生で。

    姉はその時は「Underworld」をずっと聴いてたね。Underworld聴いてる女子高生って今聞くと結構かっこいいなって。そんな感じの人でした。

    永浦 高校は地元内で進学するんですか?

    太田 うん、進学した。松江商業高等学校。

    永浦 商業高校はどんなことをしてたんですか?

    太田 高校は結構頭悪いんだけど僕は。だけど数学と情報処理だけが出来て何故かハイクラスにいたのよ。ハイクラスに入ってもずっと最下位だったんだけど。

    ひょうきんな性格が発揮したのか、当時はまだ珍しいのかな20年前だから…高校でネットショッピングの立ち上げをしたの。今思うと結構やってるじゃないかっていう。でも俺は作ったわけじゃなくて、そのリーダーとしてただ人前で喋るだけだったんだけど。そういうことをして。

    あと交通事故に遭った。僕自転車で向こう車で。吹っ飛んで、救急車で運ばれて。1年生の終わり頃の話なんだけどそれが。…それから写真を始めてるんです。

    永浦 えぇ~、事故に遭ってから…それがきっかけで?

    太田 目覚めたに違いない…バーンって跳ねられて、側頭部を起点にキュキュ~って。だけど、ここで全部の衝撃を受け止めたから体に傷も一切なく。

    永浦 ひぇ~、生きててよかったですね。

    太田 そしたらなんかもうすごい血があって、たまたまそこを看護師さんが通りかかって、救急車呼んでくれたりしたんだけど。結構人だかりが出来てて。救急車で運ばれてる途中に意識がなくなったんだけど、縫ってもらったりとかして。あのメロンみたいなやつ被せられて。

    そしたら「明日から登校できますよ」って言われて。えぇ~ってなって。そんなんこんな大事になっといて登校するの恥ずかしいなって思って、ちょっと休んだ。

    永浦 大事件だ。

    太田 そう。

    永浦 そこから写真はどういう経緯で始めたんですか?

    太田 写真は「全国高等学校総合文化祭」っていうのが毎年全国どっかであるんですけど、それが俺の年が島根県の開催で。ただ、実行委員がいなかったんですよ。その頃帰宅部でフラフラしてたから「やらないか?」って言われて「いいですよ」ってなったんだけど。

    実行委員の運営だけじゃなくて写真も撮らなくちゃいけなかったのよ。で、撮ってたら、それが県の代表になっちゃって。

    永浦 何の写真を撮ったんですか?

    太田 その時は神社の、なんか適当に撮ってた。

    永浦 カメラは自分で用意したんですか?

    太田 いや、貸し出しの。

    永浦 それで賞をって。

    太田 賞取って、県の代表になって。全国大会も多分全国ベスト4みたいなとこまで行って。俺は天才なんじゃないか?嘘だろ?みたいな。

    永浦 写真部を差し置いて。

    太田 そう。その時2年生だったから3年の先輩とかめっちゃ真面目に頑張ってる人たちが、なんかどこぞのサッカー部辞めてフラフラしてる帰宅部のやつが取ったから。みんな不快な思いしてたと思う。

    永浦 そこから写真部に入るんですか?

    太田 入ってた、入ってた。

    永浦 そこから写真人生が始まる。サッカー部は一応入ってたんですか?

    太田 入ったけど、半年で辞めた。根性なかったから。

    永浦 そこでサッカー人生は一幕終わったんですね。じゃあ、高校で印象深いのは事故と写真?

    太田 そうだね。

    永浦 性格はずっと変わらないですか?

    太田 うん、ずっとこんな。

    永浦 高校を卒業したら、次は専門学校?

    太田 専門学校行く。

    永浦 何系の?

    太田 写真の専門学校です。

    永浦 どうして写真の専門学校に行ったんですか?

    太田 う~ん。まず、自分には何もないってところから始まってて。そもそも商業の資格って日商と全商があって。高校で取れる程度のものと大学でしっかり勉強しないと取れないような、そういうクラス分けがあるんだけど。簿記1級っていっても高校で取れるレベルだったら使い物にならないのよ。

    なんだけど、俺は高校の時にみんなが取る方の簿記の1級も取ってて、情報処理の1級も取ってたんだけど、そもそも資格持ってて何になるんだろう?みたいなところもあったし。

    簿記1級取るのにこんなに勉強しなきゃいけないのかっていう。どっちかっていうと仕事ってそういうのを使いこなしてどんどん行くから、取るだけでこんなに精一杯な仕事向いてないなってなって。商業系は、商業高校に3年いたから逆にもうこの道はないなって。

    ピアノも好きだったけど、音大行くかっていったらそんなでもないし。サッカーはサッカー選手になるかって言ったらそんなわけない。

    で、何が好きかな?と思ったら好きなもんないな…写真、写真か。うん、いけるかっていうんで決めた。

    永浦 いつ進路決めたんですか?

    太田 高3になって、オープンキャンパスとかあったから行ってたね。だから夏前には決めてたのか。

    永浦 松江を出てどこの専門学校に行ったんですか?

    太田 大阪の専門学校に。

    永浦 初一人暮らしですか?

    太田 いや、半年間だけは寮に住んでたんだよ。大阪学生会館っていう、島根県出身の人が住める寮があって。で、ちょうど京都と大阪の間くらいにある吹田だったかな。その辺りにあるんだけど、京都とか大阪の大学に行くやつもいたりとかして、もうみんなオタクなのよ。もう耐えられなくて、半年で出ちゃった。

    永浦 寮を出て、1人暮らし?

    太田 1人暮らし。

    永浦 写真の専門学校はどういうことをしてたんですか?

    太田 写真の専門学校はね、楽しかったよ。…楽しかった。カメラというメカそのものが面白いじゃないですか。そう思ってるんですけど。世の中の色んな写真家の作品を観たり、触れたり。なんか自分がどんどん磨かれていく感じだったりとか、そういう感覚に出会う場面がすごい多くて楽しかったです。

    永浦 何が一番印象深いですか?

    太田 印象深いか。自分にしか撮れないものは何だろう?みたいなことはずっと考えていて、結局見つからなかったことかな。

    永浦 どういうものを撮る2年間だったんですか?

    太田 本当に色んなものを撮ってたんだけど、何をテーマにしたらいいんだろうなとかって考えるじゃないですか。ある時は琵琶湖に通って琵琶湖の写真をひたすら撮り続けるとか。けど、これなんで琵琶湖を撮ってるんだろう?琵琶湖の写真どこに発表するんだ?とか、なんで俺が琵琶湖を撮る必要があるんだ?とか。次にその当時付き合っていた彼女の写真を撮るけど、彼女の写真を展覧会開いたところで誰が見るんだ?っていう。彼女との生活を出したところで何もならない、やめようって。

    次に日本一周しようっていって。日本一周って言っても全部を練り歩けるわけではなくて、ほぼ着地したみたいな、そんなのもカウントしながらやってたんだけど。けど俺が日本一周する意味がどこにあるんだ?っていう。日本一周したところで何になるんだ?それ俺がやらなきゃいけないのか?とか。

    そういうことをしながらも、結局卒業制作を作らなきゃいけなくなるから、そこでまた彷徨って今度はアジアに行くわけです。インドとかネパールとかバングラディシュとかその辺に行くわけですけど、なんで俺がアジアを放浪してるんだ?ってなって。アジアを放浪してるやつなんてもう死ぬほどおるし、とにかく俺がやる意味は全くないなっていう風な感じで見出せずに終わるっていう。

    永浦 一番最初というか、アジアに行くと決めた時は目的があるんですよね?

    太田 いや、もう見えない、その時は。

    永浦 とりあえず行ってみて、いっぱい考えて?

    太田 考えるより、もう修行に近くって。とにかく枚数を撮ってくるっていう。当時、36枚撮りのフィルムを70本持って行って、それを全部撮って帰ってくるっていう。

    永浦 何ヶ月くらい行ってたんですか?

    太田 1ヶ月ぐらい。で、片っ端からなんでも撮るようにしてて。結局何にもならず。

    永浦 そこからはどういう進路になるんですか?

    太田 そこからは、俺は写真の仕事に就けず、弥栄に行きます。そこでようやく「限界集落」っていうキーワードに出くわして。限界集落のテーマで写真を撮るのは俺のやるべき事かもしれないなって思って、撮影を始めたっていう。

    永浦 どういう経緯で弥栄に来るんですか?

    太田 ばあちゃんいるし、ちっちゃい頃から通ってる場所ではあったんだけど。やっぱ題材としていいかもなって思ったのが1番だと思うな。

    永浦 弥栄に来たのは何歳くらいですか?

    太田 21。

    永浦 写真を撮りながらどういう生活をしていたんですか?

    太田 写真を撮るって言っても食っていかなきゃいけないから仕事はするんだけど。写真のいいところは、カメラさえ持ってたらどこでも写真が撮れるっていう。当時ゴミ収集車の運転してたんだけど、ゴミ収集車にカメラ積んで仕事してた。とか、工事現場に入って手伝いながら写真を撮るみたいな。「暮らしながら写真を撮る」という。

    永浦 おぉ。その時はどのくらいいたんですか?

    太田 2年。

    永浦 2年撮り続けて、働いて。

    太田 そう、2年撮りためて、展覧会やって、隠岐の島に行くと。

    永浦 隠岐の島に行くきっかけは何ですか?

    太田 やっぱり「限界集落」ってさ、ネガティブじゃないですか。ポジティブなもの撮りたくないですか?って思って、近くでそういうまちづくりとか元気なところないかな?。あ~、海士町か、近いし行ってみるかって決めた。

    永浦 身一つで行ったんですか?仕事はこれをしようとかではなく?

    太田 島の仕事をして、写真撮れたら尚いいな~って。

    永浦 行って、まず何の仕事をするんですか?

    太田 その時がマルチワーカーっていう。特定地域づくり事業協働組合が出来る前の派遣法でやってる取り組みでした。

    永浦 もうその時にはあったんですか?

    太田 あった。あったというかそういう構想があって、プレイヤーとしてそこに入っていって。で、岩牡蠣の漁師をしながら写真を撮り、夏になったらホテルで働きながら写真を撮って、ていう風な暮らしを送ってた。

    永浦 その時はどういうお気持ちでしたか?

    太田 楽しかったなぁ。

    永浦 マルチワーカー自体はどのくらいやったんですか?

    太田 5、6年やったんじゃないかな。楽しいよね~。

    永浦 春夏秋冬で働くところが変わるわけじゃないですか、その6年間は季節ごとの仕事は同じだったんですか?

    太田 一緒だったり、変えたりしてた。

    永浦 自分の行きたいところとか?

    太田 行ってみたいところに行ったり、来てよってお願いされたら行こうかなぁって行ってたかな。

    永浦 何が一番楽しかったですか?

    太田 一番はないね。どこも魅力があるからあれだけど。けど岩牡蠣とか面白かったかな、岩牡蠣の出荷現場とか。あと酒蔵も面白かった。

    永浦 酒蔵はどういうことをやるんですか?作る?

    太田 俺は混ぜたりとか。一通りは手伝わせてもらったかな。ただ、自分の作業がどの工程に当たるのかは全然分からない。

    永浦 その頃の経験が今に繋がってるなと思うことはありますか?

    太田 分かんないね。繋がってるから今にいるとは思うんだけど、無理に繋げることでもないかな、と思ったり。

    永浦 ありがとうございます。マルチワーカーを5、6年やった後はどうなるんですか?

    太田 …そっか、もっとやってるかな。その後に海士町複業協同組合が出来たんで、そこで働いてました。

    永浦 立ち上げた?

    太田 う~ん。立ち上げたって言ったらあれだけど、まぁそこも関わらせてもらっていたっていう。

    永浦 海士での生活はどうでしたか?

    太田 楽しかったけどね。楽しかったけど、10年もいると飽きるよね。飽きてるっていうと今住んでいる人たちに申し訳ないけど。元々3年くらいのつもりで海士町に行ってたんだけど、気づけば10年だったからね。10年は長いんじゃないかな。

    永浦 途中で他にやりたいこととかもあったんですか?

    太田 定期的に出たいムーブを起こしてた。出たいと言いつつ、そこまで積極的に動かなかったから出る気はなかったのかもしれない。

    永浦 海士での一番の思い出は何ですか?

    太田 やっぱそれは嫁をゲットしたことだね。圧倒的だね。

    永浦 あ~、詳しく聞きたいんですけど、長くなっちゃうので。

    太田 あ、そこは割愛?

    永浦 おめでとうございました、ということで。じゃあ、海士で10年働いた後はどうなりますか?

    太田 弥栄に帰ってくるわけです。で、体験村の仕事を始めた。

    永浦 ここで最初の話に戻ってくるんですね。

    太田 そうそうそう。

    永浦 不安とかなかったんですか?

    太田 不安は常にあるでしょう。あります。常に不安と戦っています。

    永浦 弥栄に来るときはどういう心境だったんですか?心機一転?

    太田 いや、全然。心機一転ってなれるほどそんなに強人材じゃないんで。なので、結局弥栄に行ったって海士町の時の人脈に頼らざるを得ないとは思ってたんで、全然心機一転っていう感じではない。

    永浦 弥栄に来てここはいい場所だな、とか弥栄自体の好きなところはありますか?

    太田 あるね。やっぱ弥栄はね風が気持ちいいんだよね。あとね、深呼吸ができるのよ。

    永浦 海士ではできなかったんですか?

    太田 海士でも出来るんだけど。やっぱり潮風とかね、あと船から出るガスとかはあんまり好きじゃない。でもその点ね、やっぱ弥栄は深呼吸出来る。もう肺いっぱいに空気を入れたくなるね。

    永浦 お気に入りの場所とかあります?

    太田 まぁそこはふるさと体験村って言いたいところですけど。

    未来:仕事が出来て、気分がいい人になりたいなと思います。いつでもご機嫌な人に。

    永浦 はい。じゃあ未来のお話にいきます。これからどういうことをしたいとかありますか?

    太田 嫁はんの店を作りたいね。

    永浦 何屋さんですか?

    太田 喫茶店。で、僕は2階、まぁ2階じゃなくてもいいけど、白い壁を用意してもらって、毎月写真を入れ替えながら展示会でも出来たりしたらいいな。…全然儲けられなさそうな。

    永浦 弥栄がこれからどうなってほしいみたいなのありますか?

    太田 あるね。もっとセンスのいい若者たちに溢れてほしい。ただの若者じゃなくて、センスのいい若者が溢れてほしい。

    永浦 具体的にどういうセンスとかあるんですか?

    太田 おしゃれするもそうだし。カルチャーに興味関心のあるとかってところ。

    永浦 個人としてはどういう人間になりたいですか?

    太田 仕事が出来て、気分がいい人になりたいなと思います。いつでもご機嫌な人に。

    永浦 今は難しいですか?

    太田 今は仕事も出来ないし、機嫌も悪い。

    永浦 (笑) 憧れの人とかいますか?

    太田 憧れか。細野晴臣とか大好きだね。

    永浦 細野晴臣さんはいつから好きなんですか?

    太田 高校かな。

    永浦 何がきっかけで?

    太田 たまたまHOSONO HOUSEの「ろっか・ばい・まい・べいびい」を聴いて、なんておしゃれなんだ!ってなって、そこから。
    その時に細野さんがYMOやってるとか知らなかったし。

    永浦 あ、そっちが先なんですね。

    太田 先にそう。はっぴいえんどとかも知らなくて。細野さんの聴いてったらあれ、これ細野さん?やば~みたいな。

    永浦 細野晴臣さんの魅力は何ですか?

    太田 天才で、チャーミングで。やっぱりチャーミングだよね。あとなんかサラサラしてる感じかな。なんか執着がなさそうというか。

    永浦 そういう人になりたい?

    太田 なりたい。すぐ執着しちゃう。

    永浦 複業協同組合に今後入ってきてほしい人とかは、さっきお聞きした町のこれからと同じですか?センスのいい方?

    太田 うん。でも、すごいバカな人に来てほしい。バカで勢いのある人が来てほしいな。

    永浦 盛り上げていきたい。

    太田 あと、新人類に来てほしい。自分たちよりも若い感性を持っている人たちにどんどん入ってきてほしい。

    永浦 それがおかしなことでもですか?

    太田 そこはもちろんぶつかるかもしれないけど。だけど、若い感覚というか、うん。

    永浦 弥栄がこれからどうなっていったらいいよね~みたいなのはありますか?

    太田 スナックが出来たら変わると思うな。

    永浦 やっぱりスナックはよいですか?

    太田 うん。とても大事なカルチャー。

    永浦 どういうところがいいですか?

    太田 経済活動と交流。

    永浦 確かに、経済活動。

    太田 永浦もスナック行きたくても行けないでしょう?

    永浦 そうですね、スナック行きたいけど、まだ行ったことないですね。

    太田 まぁ、スナックだね。

    永浦 スナックの経営は考えてないですか?

    太田 経営苦手だからね。そうだね。…どんどん働きたくないんだよな。

    永浦 10年後はどうなっていたいですか?

    太田 その頃にはもう髪の毛ないだろうし_。健康でありたいっていうのは一番だけどお酒も飲んでたいし。旅行も沢山したいし。そうだな。でも、自分の箱を持ってたいな。嫁のお店の話と被っちゃうけど、自分たちの規模で回せるようなお店というか、そういうスペースを持っていたり。

    永浦 ありがとうございます。これから挑戦したいことはありますか?

    太田 挑戦したいことか。仕事の話だと商品づくりとかそういうことがしたい。

    永浦 どういうものを作りたいですか?

    太田 どぶろくは、ほぼ作るんですけど。なんかめっちゃかっこいいどぶろくとか作りたいし。
    あとは、こういう木とか沢山あるから、そういうところにめちゃくちゃウケてるプロダクトとか作りたいし。

    永浦 どうやってアイディアが浮かぶんですか?

    太田 めんどくさい時。

    永浦 こうなったらいいのにな~から始まるんですか?

    太田 アイディアマンではあると思うんだけど。

    永浦 そう思います。

    太田 めんどくさい…、Slackを入れたのもそうで。(弥栄で暮らしている人たちのグループがある)伝言ゲームみたいなやり取りをするのがめんどくさいし、個人間のやり取りも他の人が見てたら全部それで終わるなら、絶対それがいいって感じだったりとか。

    永浦 めんどくさいがアイディアの素。

    太田 素。

    永浦 いいこと聞いた。最後に、宣伝したいことや言い足りないことはありますか?

    太田 宣伝か…。宣伝じゃないな、「宣言」だな。

    永浦 おぉ、ででんっ。

    太田 展覧会をする。

    永浦 お~!弥栄でですか?

    太田 いや。

    永浦 都会で?

    太田 弥栄でやっても見る人いないから。

    永浦 写真のですか?

    太田 うん、写真の。

    永浦 今年中にやりますか?

    太田 いや、今年中は無理だな。来年か、再来年ぐらいかな。

    永浦 楽しみにしています。他は大丈夫ですか?

    太田 大丈夫。

    永浦 はい、ありがとうございます。以上です。

    太田 ありがとうございます。

    あとがき

    太田さんは、内にも外にも「わくわくすること」を考えている人、という印象があります。今回改めてお話を聞く中で、普段どのように物事を捉え、考えているのかを知ることができてよかったです。

    私自身これまで自分の考えていることや「やってみたい」と思うことを人に話すのが苦手だったのですが、太田さんと出会ってからはもっと口に出して伝えてみようと思えるようになりました。めんどくさいことも楽しめる人間になりたいです。(いつかみんなでスナックに行きましょう!)

    この記事を読んでくださったあなたも、めんどくさいと思った時には少しでもプラスに考えられますように。

    永浦

    取材日:25.05.21