「着眼大局」
_物事を広く全体的視野で捉え、その本質や要点に迫ること。
まえがき
今回の聞き書きでは、海士町と弥栄町、ふたつの地域を行き来しながら働く、宮原颯さんにお話を伺いました。仕事のこと、暮らしのこと、価値観のこと。視野を広くもち、本質は何なのかを思案して物事を考える生き方。二拠点生活をしているからこそ見えてくる風景や、日々の選択に宿る意思があります。今ここにある時間と場所に、宮原さんがどんなふうに向き合っているのかぜひ読んでみてください。
目次
現在:そんなに何か考えて生きてるつもりはないんですけど、バランス感は大事にしているつもりではいますね。
過去:多少のことであんまり緊張しなくはなったような気はします。あと、人間がいつ緊張するのかっていうのをよく分かりました。
未来:頭をぐるぐるぐるぐる悩ませながら、悩んで悩んで苦しみながら一緒に新しい仕事みたいなのを作れるといいかなとは思ってます。
現在:そんなに何か考えて生きてるつもりはないんですけど、バランス感は大事にしているつもりではいますね。
永浦 それでは、現在のご職業からお願いします。
宮原 はい。海士町役場と弥栄町複業協同組合の2社で働いています。
永浦 割合はどのくらいですか?
宮原 割合は、弥栄町複業協同組合が4で、海士町役場が1です。
永浦 海士町役場は何年くらいやられていますか?
宮原 7年経ちました。
永浦 弥栄町複業協同組合はいつから?
宮原 2025年の5月からです。
永浦 実際にやってみてどうですか?
宮原 弥栄町複業協同組合は始まったばかりなので、色々と書類を作るなどの作業をしています。本来やりたいことみたいなのはまだ沢山あるんですけど、まだちょっとそこに手をつけるまでの状態じゃないっていう感じですかね。
永浦 海士町役場の方はいかがですか?
宮原 海士町役場はもう7年ぐらいやったので、まあある程度その流れが分かりきっているので、そんなに気にしていないというか。週に1回、4:1なのでその範囲でやれることを最大のパフォーマンスでやれたらいいなぐらいの感じです。
永浦 気持ちの切り替えとかは難しくないんですか?
宮原 気持ちの切り替えは、どうかな?難しいか難しくないかで言うと別に難しくはないかなと思いますね。
永浦 休みの日は何をしていますか?
宮原 最近は楽器のキーボードで、ポップスの練習をしてる感じですね。
永浦 どうしてキーボードを?
宮原 今もそうなんですけど、海士町でバンドを組んでいて。そのバンドで私ボーカルなんですよ。初心者の端くれですけど、ドラムも多少はできるんでたまにやったりもするんですけど。ドラムって1人だともちろん超絶上手い人はそれだけで音楽になるとは思ってるんですけど、伴奏の楽器がないと何の曲をやってんのか分からないっていうのがあって。
キーボードだったら、もしくはギターとかだったらいわゆる伴奏ができるから何の曲やってるなっていうのは分かるので、新しくやるならどっちかにしようみたいな。ギターは多分Fコードも押さえられないなと思って。キーボードは押せば音が出るんで、それならいいなと思ってキーボードにしました。
永浦 楽しいですか。
宮原 うーん、楽しいですね。楽しい。今はまだ楽しいかな?
永浦 どのくらいやられてるんですか?
宮原 まだ全然そんなに経ってないです。新しくキーボード買ってからは割と時間経ってますけど、練習量で言うと多分1ヶ月もないんじゃないかなと思います。
永浦 そうなんですね。…期待大ですね。今後のキーボード。
宮原 うん、期待大かなと思いますね。
永浦 他に何か好きなこととか普段やっていることはありますか?
宮原 普段やってることは、アニメ見るとか映像系の映画見るとかは好きなんでもちろんやりますし。あとはなんか全然違うんですけど、「TCG」っていうのは分かりますかね?トレーディングカードゲームっていうんですけど。
永浦 あ、トーキョーガールズコレクションかと思った、。
宮原 はい、あのトーキョーガールズコレクションじゃないんですけど、まあそのTCGをやってますね。趣味程度というか。千葉の友人が、ワンピースのカードゲームやっていて。たまたま去年出張で東京へ行く機会がめちゃくちゃ多かったんで、その方ともよく会って飲んでたんすよ。そしたら「颯もやろうや」って言われて半ば強制的に無理やりにさせられて。
元々、中高の時に結構ガチンコでTCGやってたんで、久しぶりにやってみるとまあこれはこれで面白いなみたいな。今はその高校生と違って財力も違うんで、まあ、金に物言わせてやってる感じですね。うん。
永浦 リフレッシュですか?
宮原 リフレッシュというか、なんかすごく頭を使うゲームなんですよね。いわゆるカードゲームとかボードゲームもそうだと思うんですけど。なんかその戦略次第でどうにでもなる。まあもちろん運の要素も、引けるカードを引けなかったら負けちゃうことも全然あるんで、それは運の要素もあるんですけど、運以上に実力が結構でる競技なんで面白いなって思うんですよね。
永浦 少し話は変わるんですけど。生活の中で何かときめく!って思う瞬間はありますか?
宮原 多分ないですね。
永浦 何を考えて生きていますか?
宮原 何を考えて生きているか。そうですね。そんなに何か考えて生きてるつもりはないんですけど、バランス感は大事にしているつもりではいますね。
永浦 何と何の?
宮原 私は「正しさと豊かさのバランス」って言ってるんですけど。例えば正しさの話で言うといわゆるポリコレとか多様性とか、完全実力主義とかそういうちょっとグローバルな価値観って言ったらいいんですかね?都市部的な価値観を私は正しさと捉えていて。
次の豊かさっていうのが、何て言うんだろうな。お金じゃ買えないものって多分たくさんあると思うんですけど、それこそ、こういう今住んでいるような田舎とかもそうだし。経済的な要素を排除したもの。
例えば子供とかも経済的なことだけ考えると、産まない方が合理的ではあると思うんですよ。お金かかんないし。自分のキャリアに穴を開けなくてもいいし。なんかそういうもののバランスを一応気にしながら。生きてはいます。今のところ。
永浦 ありがとうございます。仕事で信念みたいなのはありますか?
宮原 仕事の信念は、多分ほぼないです。…ないです。現状あるものやらねばならないことを基本的にはこなすだけなのかなと思っているので。そんなに俺がこうやってやるぜみたいなのはあまりなくて。だから、今やってることに対して私が関わったことでなんか結果的にこうなりました。みたいな感じで考えてますね。
永浦 やりがいはどこで見つけるんですか?
宮原 やりがいですか?これ結構難しいんですけど、私の場合は「他人に必要とされているかどうか」みたいなところは割と1番大事にしているかなっていうのは思いますね。だから「自分がこれをやりたいです」みたいなのも沢山あるんですけど、1番大きい要素は頼りにされてるというかみたいなところかなって思います。
永浦 ありがとうございます。海士町で一番好きなところや、まだないかもしれないですけど弥栄でなんかここはいいなっていうスポットはありますか?
宮原 場所ですか?
永浦 場所です。
宮原 うーん。海士だとどうだろう。知々井岬っていう岬があるんですけど。そこはかなり好きで。あの、まあ牛のうんこも沢山あるんですけど、それ以上に広がっている景色がすごく良くて。背中側を見ると、山というか森みたいなのがあって。
正面を見るともう180°海が広がっていて。奥には運が良ければ大山(だいせん)って言って、島根と鳥取にかかっている大きい山があるんですけど、それが見えるのがいいなっていう。その場所が好きですね。
弥栄に関しては本当まだ全然なくて。どうだろうな。今後イベントとかいろんな地域行事とかに関わっていくにつれて多分増えていくんだろうなとは思いますね。 まだ季節を1周していないので、何ともみたいな感じですね。
永浦 現在の話に通じるか分からないですけど、この場所というか、町が好きだなって思う時の観点はどこにありますか?
宮原 どうだろう。私は町が好きだと思ったことは1回もなくて。そこに住んでいる人の考え方かなとは私は思っています。海士町の人たちはちゃんとこう自分が住んでる土地のことに関してしっかり関心がある。あまり他人事じゃなくて、自分事としてしっかり捉えて考えている方が多くて、そこがいいなって思います。
弥栄はまだ色んな方とお話しできたわけじゃないんで一概には言えないんですけど。多分なんですけど、他の市町村と比べるとまだちゃんとしっかり自己意識というか、我がこと意識みたいなところはあるかなと思ってて。なんか、そういう町はすべからく好きになる要素が沢山あるなとは思いますね。
永浦 普段生活をしていてこれだけはやめられないとか、最近のやめられないものはありますか?
宮原 やめられないこと?それで言うとなんて言うんだろう。私の定義上の「料理をしないこと」をやめれないです。
永浦 料理はずっと苦手なんですか?
宮原 いや苦手じゃないんですよ。そもそも苦手じゃなくて面倒でやりたくない。別にしなければならない状態になったらなんとかしますけど、基本やりたくないスタンスですね。
永浦 1人暮らし歴は何年ですか?
宮原 一人暮らしも…7年経ってるのか、はい。
永浦 全然自炊はしてないですか?
宮原 海士町にきた当初は普通にしてました。
永浦 途中でもうめんどくさいってなったんですか?
宮原 むしろ海士町はやらざるを得ない状況が結構あって、やらざるを得ないからやってたんですけど。弥栄の拠点も増えてから、割となんでも揃うじゃないですか。買おうと思ったら料理しなくてもいい環境になっちゃった。だからしないみたいな感じですかね。
永浦 二拠点っていうのは、単純にどういう気持ちですか?海士町は帰る場所みたいな気持ちですか?
宮原 そうですね。海士町は今後どうなるか分からないんですけど。今の段階では最終的には帰る場所かなみたいなのは思ってますね。それぐらいです。
永浦 ありがとうございます。

過去:多少のことであんまり緊張しなくはなったような気はします。あと、人間がいつ緊張するのかっていうのをよく分かりました。
永浦 過去の話をお聞きします。幼少期の自分は、自分ではどんな子だと思いますか?
宮原 自分ではどんな…負けず嫌いな子だったと思いますね。
永浦 親とか友達からは何て言われてました?
宮原 あ、でも一緒ですよ。本当に負けず嫌い。だし、ステレオタイプな男の子。鉄道が好きとか飛行機が好きとか、車が好きとか。そんな感じですね。
永浦 あだ名は何でしたか?
宮原 あだ名は幼少期にはなかったですね。中学校の時に初めて言われたいわゆるあだ名が「はやだい」でした。
永浦 はやだい。なんでですか?
宮原 その名付けをしたのが水泳部の同級生なんですけど。その水泳部の同級生の、ライバルって言ったらいいんですかね。他校の同級生に「そうだい」っていう方がどうやらいたらしくて、その「そうだい」という文字が私の「颯(はやて)」って一文字に「大きい」と書いて「颯大(そうだい)」なんですよ。それをもじって「はやだい」って呼んでました。
永浦 いいですね。じゃあ幼少期はなかった?
宮原 そうですね。まあ例えば祖父とか祖母、母親に呼ばれるのは「はやちゃん」とか、そんな感じかな。今も親族は「はやちゃん」って呼ぶ人が多いかな。特におばあちゃんは。
永浦 小学生の頃は何の教科が一番好きでしたか?
宮原 算数かも、算数な気はします。
永浦 その先もずっと理数系ですか?
宮原 理数系って程理数系じゃなかったですけど、数学とか別に嫌いじゃなかったかなっていう。
永浦 あ、どこ出身ですか?
宮原 福岡県出身です。
永浦 小学校も福岡?
宮原 そうですね、小中…要は社会人になるまではもうずっと福岡です。
永浦 小学校までは遠かったですか?
宮原 いや、小学校は歩いて5分もかからなかったと思います。
永浦 近い、!どういう町ですか?
宮原 どういう町?コンパクトに収まってたと思います。当時団地があって、面積がそんなに大きくないけど割と人はいた町だったんで。今はちょっとどうかわかんないですけど。ただスーパーとかも1個普通に大きいのがありましたし、病院は大きいのはなかったですけど、内科とか整形外科とかもあって。
コンパクトに集約されてる町かなと思いますね。ビリヤード場とかもありましたしね。レンタルビデオ屋さんもあったし。
永浦 好きですか?
宮原 嫌いじゃないですね。もうそこに実家があるわけじゃないんで、寄る用事はすごい少なくなったんですけど。たまたま同級生のお父さんがうどん屋さんをしてて。で、そこに毎年時期が合えば年越しそば食べに行ったりするんで、そういう時に行くと相も変わらずだなみたいな。
永浦 変わらないですか?町。
宮原 そんなに変わってないですね。うん。新しいものが建ってるなっていうのもあるんですけど。もちろん失くなったものもありますけど根本そんな変わってねえなみたいな感じですかね?
永浦 小学生の時に1番記憶に残ってることは何ですか?
宮原 1番記憶に残ってることか。ブロック長っていうのを小学生の時にやってまして。多分福岡県のシステムなんですけど。運動会の時に分かれるじゃないですか、バトルするんで。1組2組で赤と白じゃなくて赤と青なんですよ、確か。私は赤ブロックのいわゆるブロック長みたいな…やってたはずなんですよ。
永浦 応援団とは異なる?
宮原 応援団長はまた別にいます。ブロック長というのは、応援団長がこうウェーイって色々やってる時に隣で旗を振ってるみたいな感じなんですけど。それを確かやってたと思う。応援団長じゃなかったんで。
その時にいわゆる応援歌っていうのがありまして。伝統的なやつは1個もないんですよ。基本的にはその当時流行っている曲を魔改造してやるんですけど、それはすごい印象残ってるなと思って。自画自賛ですけど、結構クオリティ高く替え歌できたなと思って覚えてますかね。
あとは、小学校2年生の時だったかな?結構頭が割れることが多くて。
永浦 割れる?
宮原 切れることが多くて、怪我で。2回ぐらいやったんですけど。1回目は、分かるか分からないですけどサッカーゴールあるじゃないですか。あれの脇にタイヤが半分埋まってる状態のやつがバーって並んでるんですよ。それをいかに早く走るかみたいな戦いがあって。それをやってて、前を向いてなかったら目の前にゴールポストがあって頭をぶつけてパックリいったことがあります。
と、もう1回がちょっと高いところから飛び降りた時に自分の膝と頭がごっちゃんこして、それで切れたこともあります。その2回。
永浦 アクティブですね。
宮原 はい、よく覚えてます。
永浦 縫ったんですか?
宮原 そう、ゴールポストの時は縫いました。
永浦 痛かったですね。
宮原 はい、痛かったと思います。
永浦 はい。じゃあ中学生に行きます。中学校は小学校からみんな同じ子たちですか?増えますか?
宮原 増えます。何個か小学校が集まって、小学校は2クラスだったんですけど、中学校は6クラスまで増えたんで。学校の数で言うと4つだったかな?4つの小学校がぐ!って集まってたと思います。
永浦 中学校はどんな子でしたか?
宮原 中学校は…。ああ、でも、うざかったと思います。うん。
永浦 どううざかったんですか?
宮原 今思うと本当もう恥ずかしいんですけど。そもそもどちらかというとあまり素行の良い学校ではなかったんです。授業中とかに寝る子も沢山いるし、盾を突くような子も沢山いるんですけど。賢ぶって理論付けてひろゆきみたいなことを言って「これ今やる必要ありますか?」とか言ってたのはすげえ恥ずかしいなって今では思います。本当もうクソみたいなやつだったなと思って。
永浦 何部だったんですか?
宮原 部活は1年生の時だけ入ってて、確か。野球部に入ってたんですよ。入ってたんですけど、同じ野球部のやつとサボって全然別の場所で一緒にキャッチボールしてました。
永浦 野球部ではなく。
宮原 そう。個人練してました。
永浦 中学校で1番印象に残ってるのは何ですか?
宮原 1個だけあって。私、未だに忘れられないんですけど。あの、モテ期?を本当に感じたことがあって、もうそれ以降何も来てないんですけど。1週間のうちに3人の女性から告白をされまして、っていうのをすごく覚えています。
永浦 モテる要因とかあったんですか?
宮原 全然わかんないですね。いやモテる要因そんなないような気がしてるんですけど。ただ、共通して言えたのはその女性が3人とも末っ子だったという共通点だけありまして。ちょっとそういう気質があるのかもしれない。
永浦 ご兄弟はいらっしゃるんですか?
宮原 はい。妹が1人いて、私は長男。
永浦 何歳差ですか?
宮原 2つ。
永浦 お兄ちゃん気質なんですかね?
宮原 分かんないです。本人たちに聞かないと分かんない。
永浦 中学生の時というか、人生の中で一番楽しかった時はいつですか?
宮原 楽しかった時。
永浦 今が楽しいでもいいですけど。
宮原 ああ。でも本当最近かなり楽しかったなって思うのは、冒頭に言ってたバンドで島であるちっちゃいフェスですけど、フェスに出させてもらって。それが気持ち良すぎてっていうのが楽しかったですね。楽しかったっていうか、なんか気持ちよくてもう麻薬みたいな。もう1回やりたいみたいなのをすごく思ってます。
永浦 そのフェスは何人ぐらいのお客さんがいらっしゃったんですか?
宮原 どのぐらいでしょうね。会場にいたのは300ぐらい?200は絶対いたんですよ。で300いくかいかないかぐらいじゃないかなとは思います。
永浦 いいですね!話は戻りますが、中学卒業後はどういう人生ですか?
宮原 地元の工業高校に進学をして。で、1年で退学しました。
永浦 辞めた理由は?
宮原 ダーツでプロになるぞって言って辞めました。
永浦 ダーツ自体はいつ頃始めてたんですか?
宮原 小学6年生の時に初めてやりはしました。そっからまあぼちぼち続けてた感じですかね?
永浦 友達のお家とかにあったんですか?
宮原 そうそう、友達のお家にありました。
永浦 ダーツの経験が今に生きてるよなって思うことはありますか?
宮原 多少のことであんまり緊張しなくはなったような気はします。あと、人間がいつ緊張するのかっていうのをよく分かりました。
永浦 どういう時に?
宮原 勝ちそうになると一番緊張するんですよ。勝ちそうとか、あと1手で決まるとか成功するとか、そういう時に1番緊張するし、1番ミスをするっていうのを学びましたね。
永浦 それに打ち勝つ方法も?
宮原 いや、打ち勝つ方法は多分ないです。もう失敗もするし、もちろんうまくいくこともあるなっていう感じですかね?
永浦 高校を辞めてダーツは何年ぐらいやってたんですか?
宮原 今も別に辞めたみたいな感じではないんですけど、3年ぐらいは一生懸命やってたんじゃないですかね、多分。
永浦 実家にいながら?
宮原 そうですね。当時は高校を辞めてバイトしながらダーツもやり。家は実家に住ませてもらってたみたいな感じですかね。
永浦 バイトは何をやってたんですか?
宮原 割と色々ありましたよ。居酒屋も何店舗かやりましたし。ピザ屋も行きましたし、ガソリンスタンドとかもやりましたし。あとはダーツのお店のバイトももちろんやってましたし、結構色々やったと思います。
永浦 何が1番楽しかったですか?
宮原 個人的なナンバーワンはピザ屋。配達の仕事なんですけどそれは1番面白かったです。
永浦 1番人生経験だなって思ったバイトはありますか?
宮原 ダーツのバイトかな。どちらかというと年齢層が結構高くて。いわゆる挨拶の仕方とか、「こんにちは」じゃなくて「お疲れ様です」って言うんだぞ、みたいな。そういう一般常識みたいなところも含めて教えてもらえたのはそのダーツのお店。私上手いので、基本来るお客さんと対戦するんですけど負けないんですよ。本当に。そういう時って1番気を使うんですよね。
「オートハンデ」って言ってハンデを機械が実力に応じて判断してくれて勝手につけてくれる機能があるんですけど、人によってそれをつけるかつけないかもまず一つあるわけじゃないですか。若いんですよ。19とか20歳にもなってないようなやつに「ハンデどうします?」とか言われたくないじゃないですか。大人になった今でも思うので、当時はなんかようあんなんやってたなって思います。
本当に難しい接客をようやれてたなっていう。めちゃくちゃクレーム言われてたと思うんですけど。多分オーナーがうまいこと吸収してくれてたのかな、みたいなことを今となってすごい思います。
永浦 じゃあ、そっから海士に行こうってなったのは何がきっかけだったんですか?
宮原 うーん、きっかけ。普通にダーツで勝ってなかったっていうのはまあまず1番ですよね。仕事にならないのは分かったんで。仕事しないと生きていけないしなみたいなところで、島にでも行くかみたいな、そんなテンション。
永浦 島に行くならこの職業をしようってちゃんと決めて行ってたんですか?
宮原 それは決めてて。決めててというかこれしかないなって当時は思ってたんですけど。田舎じゃないですか、離島とかって。そうなった時にどんな仕事があるかそもそも分かんない。
でも、こんな高校中退したポンコツな頭でも分かるのは役場はあるだろうと、絶対。じゃあ、役場の職員になればいいんじゃないと思って。離島の役場の職員になるっていうのを決めていろんな離島の公務員試験を受けるっていう感じですね。
永浦 そっか、それで公務員なんですね。
宮原 はい。
永浦 島に行って最初にした仕事は役場ですか?
宮原 そうです。島に行ってから役場の仕事しかしたことないですよ。
永浦 役場内でも色々しました?
宮原 役場内でも色々してますね。
永浦 何をしたんですか?
宮原 最初は総務課って言って、役場の中心的なことをやる部署があるんですけど。そこで消防の仕事しました。他で言うと別部署に移動して林業のお仕事だったりとか、あとは公衆衛生、ゴミの関係とかもそうですし。あとは、また移動してイベントの仕事、観光の関係、色々やりましたね。
永浦 役場で1番楽しかったのは何ですか?
宮原 楽しかったなっていう風に思うのは、海士町にも複業協同組合があるんですけど、それの立ち上げの仕事。と、あとは一昨年に町で1番大きなイベントがあって、それをやりきった時は楽しかったなって感じですかね。
永浦 出会えて良かったぞっていう人はいますか?
宮原 皆さんもちろん出会った方全て大切な方なのは大前提として。今考えてることの元になってるのは海士町の地域づくり会社のAさんという社長がいらっしゃって、その方には会えてよかったなって思いますね。
永浦 どういう時にそう感じたんですか。
宮原 私が言葉尻しか捉えていない可能性があるんで何とも言えないんですけど、「資本主義経済の行き着く先」みたいなところをものすごく考えられている方で。このままでいいんだろうか?っていう感じで疑問を抱いていて。
島に来て実際に自分の疑問を解決していくべく、地域が良くなるためのことを色々とされているんですけど、その手法がものすごく土着しているというか、地域に寄り添ったやり方で。より良くなるためのことをずっとやられてきてるんだろうなっていうのがあって。現時点では自分もなんかそういう考えを持ってるんでAさんみたいになりたいなとは思ってる感じですね。
永浦 ありがとうございます。大人になって自分はこのタイミングで変わったなみたいなタイミングはありますか?ここが変わるきっかけだったみたいな。
宮原 うーん、どうでしょう?まだ今も別に大人かどうかって言われるとちょっと疑問なところはあるんですけど、一番ターニングポイントとしては高校を辞めたのが1番大人になるタイミングだったんじゃないかなって思いますね。その時点で同級生との関わりはもうほぼ0になって。
基本的には私より年上の方と、バイトもそうですし、ダーツの大会に出る時とかもペアで出るんですけど、そういう時とかも相手の方がいてみたいなところで。17歳からはずっと基本年上の方に囲まれて生きてきたんで。そういう意味ではそこが1番のきっかけだったかなとは思いますね。
永浦 その頃の自分に向けて言いたいことはありますか?
宮原 横着するなよっていう、、横着って分かります?
永浦 適当にするなっていうか?
宮原 適当にするなよというか、横柄にするなよっていうか、態度でかくすんなよっていうことは言いたいなと思いますけどね。
永浦 態度でかかったんですか?
宮原 態度でかいっていうか、ダーツうまかったんで。本当。いや本当なんですよ。めっちゃうまかったんでやっぱ天狗になるんですよね。まだ精神的にも高校生の年ですから。やっぱ自分がうまくいったら自慢もしたいし、嬉しいから調子乗っちゃうと思うんですよ。
でもやっぱ今よく考えたら、まあ能ある鷹は何とやらっていうように本当そうだなと思って。だから、それはしっかり伝えてあげたいなとは思いますけど。まあでも伝えたら伝えたらでね、今度はタイムパラドックスで私は今ここにいない可能性だってあるんで、その辺はちょっとまあ夢の世界ということで。そんな感じですかね。
永浦 座右の銘はありますか。
宮原 座右の銘と言っていいのかわかんないですけど。「グレー」っていうことですかね?
永浦 グレー。
宮原 はい。私の最近のトレンドですかね?よくあるんですけど、白黒はっきりつけたがるじゃないですか、皆さん。かくいう私もそうなんですけど。なんかでもそうじゃないなっていうのを思っていて。そもそもそういう二元論的な話で解決するようなことって人生においていくつあるかって言われるとほぼないんですよ、よくよく考えると。
なので、そういうのをちょっと肝に銘じる意味でも、グレー。物事にはその2面性がしっかりあって、どっちも持っているっていう。いいところも悪いところもあるっていうのはちゃんと肝に銘じてやらないとなとは思ってますね。
永浦 ありがとうございます。

未来:頭をぐるぐるぐるぐる悩ませながら、悩んで悩んで苦しみながら一緒に新しい仕事みたいなのを作れるといいかなとは思ってます。
永浦 じゃあ未来の話をお聞きします。大きいですけど、これから先どういう大人になりたいですか?
宮原 贅沢かもしれないんですけど。本当ちっぽけでもいいんで、今私が思っていることに共感してくれる人が2、3人ぐらいいて、その人たちと酒飲みながら死ねたらいいかなみたいな感じですかね。
永浦 役場も今もそうですけど、町と密接に関わるじゃないけど、その基盤となるお仕事をされてるじゃないですか。どういう町がいい町だなって思いますか?
宮原 冒頭でもお伝えしましたけど、住んでいる方がこの町をああしたい、こうしたいってちゃんと思っている人の数が多い。プラスその思いが強いっていうところですかね。まあもちろん思いが強くても動かなかったら一緒なんであれなんですけど、いい町だなって思う土台はまずそこです。
永浦 個人的にやりたいなって思うことはありますか。
宮原 ストリートライブとかやってみたいですね。
永浦 面白い。キーボードで?
宮原 もちろん。
永浦 弾き語りを?
宮原 もちろん。弾き語りを一人で適当にその辺でやりたいなって。
永浦 田舎でですか?
宮原 田舎でもいいと思いますし、都会の喧騒の中で警察が来るまでやるみたいなのもまあいいかなと思うんですけど。やっぱ人に見られて賞賛されるっていうのが私にとって気持ちが良すぎたので、あれをまたできたらいいなぐらいな感じですかね。
永浦 できたらいいですね。じゃあ、新しく出来た弥栄町複業協同組合を今後どういう風にしていきたいとかありますか?
宮原 そうですね。まあ、なるようにしかならないとは思いつつ。どうしていきたいというか、どういう人とやりたいかっていうのはさっき言ったグレーの価値観が分かる方に来てほしいかなと思いますね。そういう方たちと頭をぐるぐるぐるぐる悩ませながら、悩んで悩んで苦しみながら一緒に新しい仕事みたいなのを作れるといいかなとは思ってます。
永浦 ありがとうございます。あとは、どういうところで人生を終えたいですか?
宮原 やっぱり都会で終えるかな、ってなんとなく想像している感じですね。
永浦 何をしたら人生満足したって思えると思いますか?
宮原 さっきも言いましたけど、同じ考え方を持っている友人と…同じ考え方を持っている友人というか普通に友人とくっちゃべりながら飲みながら死ぬみたいなのがいいよなと思ってますけどね。
永浦 いいですね。20代前半くらいの方に向けた言いたい、物申したい、伝えたいことなどはありますか?
宮原 まず1点はちゃんと爪を隠そうぜっていうのと。あとは、どんな意見もあってもいいとは思ってまして。否定するのは簡単なんですけど、それを1回噛み砕いて受容した上で一緒に提案していきませんか?っていうのは意見っていうか提案したいことですかね。
永浦 ありがとうございます。 逆に50代、60代とか、おじいちゃん、おばあちゃんに向けて伝えたいことはありますか。
宮原 そうですね。え~、いつ死ぬか分かんないんで、なるべく早めに引き継げるものに関しては次の世代に繋いでおいてほしいなとは思います。それがやっぱり地域の歴史になっていくと思うんで。そこは本当にお願いしたいところかなと思います。
あとは何て言うんでしょう?20代とか、多分クソガキにしか見えないと思うんですよ。実際そうだと思いますし。なんかそういうクソガキなのも、昔こんなことあったよなぐらいな感じで笑いながらいろんなアドバイスをくれるといいなっていう風に思いますね。
永浦 ありがとうございます。それじゃあ最後に言いたいこと、言い足りないことはありますか?
宮原 今、聞き書きを中心とした留学みたいなのを考えていまして、それをやっていきたいなっていうのがまず1つ。と、協力してくださるような方がいたら一緒にやりませんか?と思ってます。聞き書きの力っていう言うと大げさですけど、地域における聞き書きって、都市部の方々にいい意味でも悪い意味でもインパクトを残せるよなっていう風には思っていて。
都会に住んでいるいわゆるグローバルな価値観にずっと晒され続けている人に、こういうローカルの価値観というか排他的なところも含めて味わってもらってどっちにも良さがあるよね?っていうのを知ってもらうのが目標なので。悩んでいるとか比較され続けるのがしんどいという方がいれば一回ローカルに浸かってみてほしいなってなんとなく思ってます。
永浦 最後にもう1つだけ。人と人が関わる時に大事だと思うこと、大事にしてることはなんですか?
宮原 声のトーンは結構大事にしてると思います。技術的な話言うとですよ。あとはなるべく表情に出ないようにはしているつもりではいます。ぐらいかな。
永浦 心の面は?
宮原 心をあまり出さないようにするっていう感じですかね。1回受容して、話はそれとして受け止めてっていう感じ?別に喧嘩したいわけじゃないので。なので1回、とりあえず聞くっていうのは大事にしてるかな。
永浦 ありがとうございます。宣伝とかはいいですか?
宮原 実証実験的に今募集しているいわみ留学の方々にその聞き書きを中心としたプログラムっていうことでやっていただこうと思っているので是非参加して欲しいなっていうのがまず。あとは地域で聞き書きの留学を受け入れるのにあたって、今後少し料金もいただこうと思っているんです。だから、実質ただで来れるのは今しかないので!そういう意味ではね、来てもらったらいいかなっていう。
永浦 来るなら今だぞと。
宮原 そうですね。私もこっちにいつまでいるか分からないですからね、っていうところです。
永浦 ありがとうございました。以上です。
宮原 ありがとうございました。

あとがき
宮原さんから放たれる言葉の節々に、これまで考えてきたことたちの歴史のようなものを感じました。「考えることを諦めない」というのは非常に難しいと日々感じていますが、宮原さんを見ていると自分ももう少し遠くまで見渡してみたいと思えます。二元論では語れないこと、いろんな色が混ざり合ったぐちゃぐちゃの綺麗なグレーを一緒に見つけられたらいいです。
この記事を読んでくださったあなたにも何か残りますように。あなたの見ている世界の色もいつか聞かせてくださったら嬉しいです。
永浦
取材日 25.05.13
