1/YASAKA 田中真也さん

「春風駘蕩」 しゅんぷうたいとう
_春の風が、のどかに優しく吹いているさま。

まえがき


今回の聞き書きでは、奥島根弥栄で働く田中真也さんにお話を伺いました。弥栄で育ち、一度離れ、そしてまた弥栄へ戻ってきた田中さんだからこそ見える風景や町について。春風のように穏やかに、でも確かな芯のある言葉たちをお聞きしました。田中さんが普段どんなことを考えて生きているのか、ぜひ読んでみてください。

目次

現在:なんだろうな。ときめく瞬間…初めての人と会う時はちょっとワクワクする。

過去:これまで息抜きとかの感じでサッカーだったのが、仕事がサッカーになると息抜きは何になるんだっていうのが途中から出てきて。

未来:色々やることが出てくると思うので、いっぱいあるなと、。でもね、多分もっともっと大変な人はいると思うので、やれることを1個ずつコツコツやっていきたいなと思ってます。

現在:なんだろうな。ときめく瞬間…初めての人と会う時はちょっとワクワクする。

永浦 現在どんな仕事をしていますか?

田中 現在は一般社団法人奥島根弥栄というところで、お米の販売、お米を使った加工品の企画・販売、農作業の省力化のお手伝いといったことが主な仕事になります。

永浦 奥島根さんは今年で何年目ですか?

田中 今年で5年です。

永浦 従業員の方は何人くらいいるんですか?

田中 今は代表1人と僕の2人なんですけど。作業をする時は弥栄の人にオペレーター、作業員として仕事をやってもらったりしています。オペレーターの人は大体10人くらいかな、いると思います。

永浦 オペレーターというのは具体的にどういうことをするんですか?

田中 例えば草刈りをする人だったり。あとはお米を作る時に病気とか虫から守る防除剤という薬を撒くんですけど、それをドローンでやっているのでドローン操作をする人であったり。芝生を吹き付けるときの作業を主にやってくれる方です。

永浦 弥栄町複業協同組合の事業所の1つになられたと思うんですけど、組合が設立されたときの率直なお気持ちとかありますか?

田中 まずは必要な時に中々人が少ないところがあったので。自分たちの会社にもそういった人が集まってくれるようになるのでよかったなぁっという部分と、あとは組合に人がちゃんと来てくれるんだろうかというちょっと心配の2つがありました。

永浦 仕事をしていてやりがいを感じたり、楽しいと思うのはどんな時ですか?

田中 まずは、お米を販売するのが今は主なので一番は新しいお客さんやお取引先ができるというところが。自分が一番成果を出しているところなのでそれが出来た時は嬉しいなって思いがあるのと。

結構農作業のお手伝いとかをするので地元の農家さんから「ありがとう」って言われることはやっぱり嬉しいなという思いと。あとは色々加工品を考えたりこういう風に進めたらいいかなっていうのを考える時間も楽しいなって思いますね。

永浦 奥島根さんで主に取り扱っている加工品はどういうものがありますか?

田中 お米を使った加工品が主なので、ポン菓子とかお餅。あとは日本酒を今の時点では取り扱っています。

永浦 今後増やす予定もあるんですか?

田中 ございます!

永浦 おお~楽しみです!弥栄のことを何も知らない人にこんなところですよって一言で説明するならなんて言いますか?

田中 なんだろうな~、一言か…難しいな。

永浦 二言でも。

田中 いつもなんて言ってるかな。あ、でも「行くの難しいよ」って最初に言うかもしれない。なかなか行くの難しいって。

永浦 山登らないとですもんね。

田中 そうそう。浜田市って5つの市と町と村が集まってできてて、当然旧浜田市は高速道路もあるし、鉄道も通ってる。三隅にも鉄道があるし、普通に道路も通ってるし。旭、金城は高速道路が通っているので、どこかから来る人も通る場所ではあるんだけど。

弥栄って高速道路ないし。鉄道も通ってないし。バスがあるとしても2時間に1本とか。なので、中々来るのが難しいねという説明はする。だから目的として来る場所になるので。弥栄寄ってみようかじゃなくて、弥栄に行こうって決めないと中々来れない場所かなと思います。

永浦 ありがとうございます。話は変わりますが。

田中 あ、変わるんですね。

永浦 休みの日は何をしていますか?

田中 最近は子供がサッカーを始めたのでサッカーの練習に行くことと、あとは自分もサッカーをすることもあるし、家でゴロゴロしてることも多いです。

永浦 お子さんは今おいくつなんですか?

田中 小学2年生と保育園の年長なので、6歳と8歳になります。

永浦 仲はいいですか?

田中 兄妹は…たまに喧嘩してます。まあ、しょっちゅうか。

永浦 リフレッシュするってなったらサッカーですか?

田中 そうだね。リフレッシュするってなったらサッカーか体動かすか、思いっきり昼からお酒飲みながらだらだら過ごすか、そんな感じかな。あとは、お酒を飲むのが好きなんで。

永浦 お酒は何を飲みますか?

田中 ビールが好きなんですが、最近はちょっと控えようかと思って。焼酎のソーダ割とか…ちょっと気にしてます。

永浦 あ、体のことを考えて。

田中 そうそうそう。

永浦 そうなんですね。じゃあ、生活の中でときめく瞬間とかありますか?

田中 生活の中でときめく瞬間か。なんだろうな。ときめく瞬間…。初めての人と会う時はちょっとワクワクする。

永浦 結構そういう機会が多くあるんですか?

田中 あるのかな、あるほうかな。それこそいわみ留学とかおてつたびの方とかが来るときには大体飲み会が開かれるので、そういう時はワクワクするし。あとは何があるかな。ときめくってなんだろう。うん、でもそういう感じかな。

永浦 ありがとうございます。弥栄の好きなところでも好きな場所でもいいんですけど、ありますか?

田中 好きな場所。中学生の頃は体育館裏のスペースが結構。杵束(きつか)の方を見渡せるようになってて。今は体育館がないからあれなんだけど、昼休みに友達と2人で座って話したりとか。今と言われると難しいな。今は、家かな。うん。家が落ち着きます。

永浦 ありがとうございます。

過去:これまで息抜きとかの感じでサッカーだったのが、仕事がサッカーになると息抜きは何になるんだっていうのが途中から出てきて。

永浦 中学校の話が出たので、過去の話に行こうと思います。幼少期はどんな子でした?

田中 幼少期はね、どうなんだろうな。結構外で遊ぶことは多かった気がして。家の後ろとかで細長い草があるのをおもちゃの刀で切って遊ぶような戦いをしたり。あとは、家の中でも神楽を自分で舞ってたりとか。

小学生くらいになってくると友達と遊んだりとか川で遊んだりもしてたし。人数が少ないので集まらないと遊びが出来ないので。野球もサッカーもしたし。色々な遊びをして、まあ明るい人間でした。

永浦 周りからはどういう子だね?って言われてましたか?

田中 ええ、なんて呼ばれとったんだろうな。

田中父 真也じゃない?(同じ空間にいらっしゃった)

田中 呼び方じゃないと思うよ多分、性格的なところなんだと思うんだけど。

永浦 どういうお子さんでしたか?

田中父 そうだね。普通、普通の子なんだけど、あんまりやんちゃもやらずに素直な子だったよ。

永浦 だそうです。

田中 そうなんです。いい子だったので。

永浦 あ、弥栄生まれ、弥栄育ちですか?

田中 そうです。

永浦 今年で何年目ですか?

田中 え~っと、通算。計算難しいな。

永浦 そっか、間が。

田中 そうなんよ。39歳なので、まあ39年いるんだけど。そのうち大学4年間、社会人2年間、6年間はまずいない。高校3年間は寮だったので、土日に帰ってくるとかはあったけど、基本市内の高校に行ってたから。

永浦 寮だったんですね。

田中 寮だった。だからまあ6年はいない。

永浦 33、、?

田中 30、33年くらいだと思ってもらって。

永浦 子供の頃の一番の思い出とかありますか?

田中 大事な時に熱を出すっていうのが自分の中であって。しかもそれ全部サッカーに関すること。大体サッカーの大会の前日ぐらいに熱を出して出れないとか、熱があるけどなんとか大会に出るみたいなのが、2年連続であって。ああなんでかな…というのがまず1つと。

あとはなんだろう。いや、いっぱいあるんだけど。 結構学校行事もあるし。いっぱいあるな。 担任の先生が4年間変わらなかったとか。 

永浦 結構子供の時のこと鮮明に覚えているタイプですか?

田中 ピンポイントだけどね。全体はぼやってしてこんなことしてたなみたいな感じなんだけど。あとは、ポケモンごっこしたなと思って。

永浦 ポケモンになってたんですか?

田中 逆。スーパーボールってあるじゃん、跳ねるやつ。あれをモンスターボールみたいな色付けして友達と一緒にそれを投げて。とかそんな遊びしてたなって。

永浦 いいですね。サッカーは何歳からやってたんですか?

田中 ちゃんとスポーツ少年団みたいに入ったのは4年生かな。3か4だった気がする。

永浦 きっかけは何だったんですか?

田中 小学校の低学年くらいからサッカーは好きで。放課後とかみんなでサッカーをしとったのがあって。たまたま2年生くらいの時にフットサル場ができて、スポ少でフットサルが始まって。サッカー好きだし4年生になったら自分もやるんだろうなって思って。本格的に練習とか行きだしたのは小学3年か4年です。

永浦 ずっとやり続けてますか?

田中 そうですね。中学校はサッカー部がないのでその3年間は陸上部をやって。で、高校からまたサッカーを再開して。高校、大学、社会人。で今も続けてますよ。

永浦 中学校はどんな子でしたか?

田中 そこそこ真面目な学生だったかな。

永浦 勉強とか得意でしたか?

田中 中学レベルならまだ。

永浦 何が一番得意でした?

田中 社会。社会が一番出来てた気がするな。日本史とか割と好きでした。

永浦 陸上部は長距離?

田中 短距離もやったし長距離もやったし、幅跳びみたいなのもやったし。

永浦 全部だ。

田中 全部。全部やりました。

永浦 中学校は何人くらいいらっしゃるんですか?

田中 当時は、50人くらいだったかな。今はその半分くらいしかおらんはずだけど。

永浦 中学生の時のビッグニュースとかありますか?

田中 ビッグニュース、、、?なんかこれと言ってないな。

永浦 何を考えて生きていましたか?

田中 その時はサッカーをしたい思いが強くて、高校でサッカーを頑張るために陸上頑張ろうという気持ちでやってました。中2から中3になる春休みかな、その時に陸上の合宿かなんかがあったんだけど、それを蹴って小学生のフットサルの大会についていったことがあって。それは後日顧問から怒られた。

永浦 ビッグニュースですねそれは。

田中 ビッグニュースです。

永浦 高校は浜田の高校ですか?何系の?

田中 浜田の普通の高校、浜田高校という高校です。

永浦 高校生活はどんな感じでした?

田中 サッカーができる喜びと。寮生活だったので、寮生活ならではの上下関係があったり、色々やらされる立場になったりね。

永浦 寮は1人1部屋ですか?

田中 いやその時は4人で1部屋、とか3人で1部屋とか。

永浦 喧嘩とかしないんですか?

田中 基本的にはなかったかな。

永浦 仲良く。

田中 うん、仲良く。

永浦 毎日修学旅行みたいなテンションですか?

田中 あ~、流石にそこまでのテンション高くないよ。ある程度落ち着いて。結構勉強時間を取らされるので。21時から23時までは必ず。勉強しろっていってね。2時間は勉強したふりをみんなするわけ。

宿直の先生が回ってくるので、俺はちょうど1階の真ん中くらいの部屋で、大体こう1番端からどんどん行くんだけど。コンコンってノックが聞こえるんよ。回ってきたぞって、ノックされたら「こんばんは~」って言って、「ちゃんとやれよ~」って言ってまた出ていく。毎日。で、先生が出て行ったら携帯を見て、みたいな。そんな感じでやってました。

永浦 寮に入る子は多かったんですか?

田中 結構ね。旭とか金城とか、三隅の人とかは入ってる人が多かった。バスがね、部活が終わる時間帯にはもうないので。送り迎えするっていってもね、朝早いし夜遅いし疲れるし。で、寮になった。

永浦 楽しかったですか?

田中 楽しかったよ。

永浦 何人くらいいるんですか?

田中 男子寮だけで50人くらいおったんじゃない?

永浦 結構いるんですね。

田中 4人部屋の15くらいまで部屋があったけ、50か60人ぐらいおったんじゃないかな多分。で、食堂を挟んで反対側に女子寮があるけ。食堂は一緒なんよ、女子も男子も。

永浦 じゃあ食堂はちょっとドキドキ。

田中 ちょっとドキドキ。話しかけはしないけど。

永浦 高校の時は何が好きでしたか?サッカーだけ?

田中 あ~、サッカーだけだったかな。ほぼサッカーしかしてない。サッカーをしつつ他の楽しみといったら寮の友達と一緒に夜ご飯を食べに行く感じかな。

寮のご飯もあるんだけど、めちゃくちゃ不味い日があって。魚料理の日なんだけど。今日あの魚の日だよ、どうするかってすぐ連絡して、寮帰って来たら行くか~って友達とご飯いっとった。

永浦 そういう時は何を食べるんですか?

田中 中華料理行ってたな。ご飯大盛りで唐揚げと野菜炒めとキャベツの千切りが乗ってるやつがあって、それを食べにいっとった。

永浦 今一番好きな食べ物は何ですか?

田中 とんかつ。昔から変わらずとんかつが好きです。

永浦 ありがとうございます。じゃあ高校卒業後はどんな感じの人生でしたか?

田中 高校卒業後は大学に行きました。大学も楽しかったかな。

永浦 何学部に行ってたんですか?

田中 文学部、教育学科なので教員免許を取りに行ってました。

永浦 教師になりたいって最初に思ったのはいつくらいなんですか?

田中 高校の進路決める時かな。高校で進学どうするんだみたいな話になった時に学校の先生からいろんな選択肢があって。警察官もいいな、心理カウンセラーもちょっと面白そうだな、学校の先生もいいなって。なんか3つくらい選択肢があって。まあ、学校の先生かなみたいな感じだった。

永浦 大学はどこまで行ってたんですか?

田中 香川の大学に行ってました。

永浦 香川はどうでしたか?

田中 香川はね、結構環境が浜田と似てて。公共交通機関もそんなにないし、割と田舎なので。規模感は浜田市くらい、よりもちょっとちっちゃいかな僕がいたところは。住みやすいっちゃ住みやすかったかな。

永浦 大学生活で思い出深いことはありますか?

田中 同じ教育学科でグループができて、男女合わせて15人くらいの。

永浦 多いですね。

田中 多いのよ。確かに、多い。それで2年生くらいの時かな。必ず誰かの誕生日の時にはサプライズを用意するみたいなことをやっとって。ある人の時はみんなで手作り弁当作って、何故か全員サングラスかけて。

永浦 1人1個手作りお弁当?

田中 そうそう、1人ずつ、みんなちっちゃいお弁当箱に作って。で、全員サングラスかけて学校に。そいつだけなんでサングラスかけてないんだってなるっていう。

永浦 大学生ですね。

田中 あとは、友達の家の鍵を借りて、帰ってきたらもう居酒屋みたいなパーティーが開かれてるとか。とか、自転車で帰ってきたら紙が置いてあって、どこに行きなさいみたいなのが書いてあって。そこに行ったら何か1つのイベントがあって、そしたら次はここに行けみたいなのをぐるぐる回されて。

教育学科だったけ、体育かなんかの授業の時におかあさんといっしょの「ぱわわぷたいそう」を覚えさせられて。で、公園に行ったらそれを踊れって感じで。

永浦 踊ったんですか?

田中 踊った。大学生してる、大学生っぽいって思った。

永浦 大学生っぽいですね。サークルは入ってたんですか?

田中 サークル入ってた。サッカー部とフットサルサークル。

永浦 サッカー部は結構ガチの?

田中 ガチなんですけど、監督がいないので自分たちでメニュー決めて練習して週末は試合みたいなことをやっとった。

永浦 それとフットサルサークルも??

田中 フットサルはサークルだから週に一回かな。水曜日の夜だけ。サッカーは月から土。で、日曜は試合みたいな。

永浦 じゃあもうずっとサッカー漬けですね。

田中 うん。

永浦 なんでサッカーがそこまで好きになったんですか?

田中 楽しいからかな。多分。大学3回生の時にはキャプテンになったので、僕が決めたメニューをやったりとかしてました。そんな感じの学校生活でした。

永浦 はい、そして、就職…はどんな感じだったんですか?

田中 当時はこれから団塊の世代から辞めてくから教員は採用が増えるぞ、みたいな話が出てた頃で。とりあえず採用人数が多いのが神奈川。横浜良いなって思って受けてみよう。で、やっぱり島根も受けようっていって受けたんだけど両方だめで。

10月に合否が出るんだけど、今まで就活なんかしてないので今からリクルート登録するみたいな話になる。登録しないといけないなと思うんだけど、何やるかってなった時に、たまたま求人を見てたらサッカースクールの普及活動とコーチと、自分もそこの選手としてチームに貢献できるみたいなとこがあったので。ここいいじゃん!と思ってその会社に応募しました。

永浦 それはどこでしたっけ?

田中 それはね、神戸。よしって思って。ただ、僕が登録したのが中途採用のほうに申し込みしちゃってて。後から「あれ実は中途採用のやつだったんだけど…でも君いいよ。受けにおいでよ。」みたいな。

永浦 優しい。

田中 「分かりました、ありがとうございます!!」って言って神戸まで行って、集団面接して、受かって。二次は面接とみんなでフットサルやろうみたいな感じでやって受かって。で、最後、理事長と一緒に車に乗ってトップチームの練習試合に参加するというもので一緒にサッカーをして、そしたら「受かりました」って連絡が来ましたね。

永浦 サッカー採用なんですね。

田中 まあみんなサッカーしとる人ばっかだけ。

永浦 そこはどうでしたか?楽しかったですか?

田中 楽しかったし、やっぱ難しいなと思うこともあったね。今までサッカーって言っても部活とかは本気だけど、職業としてサッカーをしてこなかったから。これまで息抜きとかの感じでサッカーだったのが、仕事がサッカーになると息抜きは何になるんだっていうのが途中から出てきて、なかなかサッカーを職業にするのはしんどいんだなという思いもあって。

子供たちにも携われるし、面白いし、楽しかったし、なんか自分の身になることが多かったので続けたんだけど。

それこそ子供に接するのもそうだけど、テンション高い人たちの集まりだったりもするから、そこに合わせるための技術とか。がっつり体育会系の人たちが来てるので、中途半端なとこから来た人間にはね、これが体育会系なんだなみたいなのはあった。

永浦 じゃあ楽しかったけど、ちょっと、、

田中 うん、しんどいな~はあった。

永浦 そこから次のところにはどのタイミングで?

田中 もう2年やったしな~ということもあって。ちょっと帰ろうかなと思って帰りました。

永浦 帰ってきて、弥栄から出た時と変わっているところはありましたか?

田中 どうなんだろうな。変わってたとしたら風車ができてたことぐらいかな。

永浦 そのぐらいの時だったんですね。

田中 帰ってくるちょっと前くらいに多分風車が建ったんじゃないかな。それはちょっとびっくりしたけど。ああ、建っちゃうんだみたいな。まあ、建てちゃったもんは…みたいなところでもあるので。びっくりはしました。

永浦 戻って何の仕事をしたんですか?

田中 浜田市の水産課で、浜田市の魚のアジとのどぐろとカレイのこの3匹を紹介する仕事をしました。

永浦 どうやって紹介するんですか?

田中 当時は「ブランド推進課スタッフ」を臨時で雇うくらいなんで、多分一番予算をかけてたと思う。展示会とか、「東京シーフードショー」というイベントがビッグサイトであってそれに行ったりとか。あとはポスターとかパンフレットとかを作るのに、デザイン会社を決めるやりとりとか、デザイン会社が決まった後にちょっとこう修正してくださいねみたいなやり取りをしたりとか、してました。

永浦 それはどのくらいやられたんですか?

田中 それは臨時が1年だったので。1年で終了で。

永浦 次に。

田中 次は電話の営業の会社に入りました。とても大変な日々でした…とても大変。

永浦 どういうところが、?

田中 営業という職なので、めちゃくちゃ数字を言われる世界で。研修がね、なかなか大変で。電話を売るのにシナリオを用意されて、これを覚えろって覚えさせられて。本社の近くのホテルに泊まって、そこから通って2週間泊まり込みで研修をさせられ。その時の同期が20人くらいおったんかな多分。前でスピーチさせられたり、色々順位付けされて。その日1位だった人は「大統領」だって言って。

永浦 大統領…?

田中 大統領。一番優秀だった人は大統領って言われる。

永浦 大統領は何かしてもらえるんですか?

田中 いや、してもらえるわけじゃないんだけど、なんかちょっと特典とかがあったんかな。俺も覚えてないんだけど。

永浦 でも大統領。

田中 そう、大統領。あとは回線図書いたりとか、そういういう研修をひたすら。だから途中で辞めていく人とかもいるよね。2週間の間に1人、2人いなくなるとかある。そういう世界です。で、それが終わってこっち帰ってきたら上司とかについていくんだけど。またそこから1か月後にもう1回研修で、この前来てた人がおらん、って感じで。

永浦 どんどん人が、

田中 そう、どんどん人が減ってくみたいな。

永浦 営業はどのくらいやられてたんですか?

田中 そこはね流石に半年しか持ちませんでした。厳しいのよ。こんな田舎で電話機そんな頻繁に売れるもんじゃないよって思うんだけどね。1台買うだけで50万くらい飛んでく。2台買おうもんなら100万とかそのくらいの世界になるから。そんなのこの辺の会社でなかなかないんじゃないって思って、これ以上ないだろうって辞めたいなって思ってました。

永浦 辞めて、また次に行きますか?

田中 はい、次はねハウスクリーニングの会社です。お掃除する会社。電話の営業で移動は自転車か公共交通機関しか許されてなくて、役職ついたら車もらえるんだけどね。

たまたま営業で歩いてたとこにその会社の2個上の先輩が見つけてくれて。「帰ってきとる」って話になって、今はこういう感じでって話したら「うちくれば~」って言ってくれて。

永浦 そこでは具体的にどういう仕事をしていたんですか?

田中 主に現場作業と営業をやっていました。色んな人のお家に行ってお掃除して。あとはアパートの空き家の清掃とか。

永浦 大変でしたか?

田中 覚えるまではね。マニュアルがすごく細かくて。最初にこれをする、次はこれって順番があって。覚えたらね、別に見なくても出来るし少々マニュアルからずれても応用が利くようになるので。最初は覚えるのが大変。でも数字は別に何も言われないので、その辺のストレスはなかったけど。

永浦 何年くらいやったんですか?

田中 8年?多分そのくらいやってるはず。

永浦 思い出深いことありますか?

田中 ある家に掃除をしに行って、重たいんだけど外せる玄関扉があって。外して洗ってたら、雨の日だったのかな、風がふいてバンって倒れて、。「すみません、玄関扉を壊してしまいました」って言ってすぐに業者さんに電話して直してもらったんだけど一応。

初めて行ってドア壊されてるんだけどその人。その場での対応が良かったんか分からんけど、次の年から毎年お掃除頼んでくれて。よかった、いい対応したんだなと思って、ということはありました。

永浦 8年やって、奥島根にやってくるきっかけは何だったんですか?

田中 もうちょっと地域に関わりたいなっていう思いがありましたね

未来:色々やることが出てくると思うので、いっぱいあるなと、。でもね、多分もっともっと大変な人はいると思うので、やれることを1個ずつコツコツやっていきたいなと思ってます。

永浦 地域の話が出たので未来に行きたいんですけど、奥島根として今後やっていきたいこととかありますか?

田中 まずは、ここでも人を雇うようにならないといけないというのはまず1つあるので、雇えるようにお金を稼ぎたいです。と、そのために、扱うお米の量を増やしたりとか、作ってくれる農家さんの数を増やさなきゃいけないのもあるし。

プラス、販路とか売り先を増やさないといけないし、売り先を増やすにはお米だけじゃなくて色んな商品があるといいよねっていうのがあるので。なんだろうな。そういう感じで、1個ずつやっていくのと。…ですかね。

永浦 真也さん自体はどうなっていきたいとかあるんですか?

田中 どうなっていきたいんでしょうね。何してんのかな。そうね、色々あるな。なんかやることいっぱいある。ここで子供のサッカーを見たいのもあるし、自分もまだまだ体動かしたい、サッカーやりたいなと。

会社は会社でやることいっぱいあるんだけど、それ以外にもね。やさかプロダクツのことがあったり、組合のことがあったり。色々やることが多分出てくると思うので、いっぱいあるなと、。でもね、多分もっともっと大変な人はいると思うので、やれることを1個ずつコツコツやっていきたいなと思ってます。

永浦 今後、こういう人に弥栄に来てほしいとか、こういう人と一緒に仕事をしたいなっていうのはありますか?

田中 こういう田舎に興味を持ってくれる人が多分来てくれるんだろうなと思うので、そこはまず前提としてあるんだけど。ここでの暮らしを不便と思うか、不便だけどそれが充実してるというか楽しいとか、そういうふうに思ってもらえる人に来てほしいなって思いますね。

今は頼めば色々なものが送られてくるし、この辺でいう都会って言ったら広島とかになるけど、そこもね行けない距離ではないので。その辺もなんか、ここに来たらここに行くのがすごく近いじゃないかとか、ここに来ることによって色々プラスに考え方が変わってくれる人が来てくれると嬉しいなって思ってます。

永浦 ありがとうございます。若者へ向けたお言葉と逆におじいちゃん、おばあちゃんに向けたお言葉を頂戴したいです。

田中 若者か…。以前永浦さんには言ったけども、20代前半っていうのはね、何があるか分からないというか、やりたいことも沢山あるだろうし。それまでの色んな経験もあると思うので。

あの、本当に「なるようになる」と思うので。その時はちょっと苦しいなとかしんどいなって思ったことが、あとになってから苦しいとかしんどかった経験が活きることがあると思うので。なるようになります。楽しんでやってくださいって言うところが20代前半の皆さん。

永浦 ありがとうございます。

田中 おじいちゃんおばあちゃんか。何だろうな。実際、今のこういう弥栄の状況があるのも、皆さんがさらに上の代の皆さんから引き継いでいただいたおかげであるので、ありがとうございますって言ったところと。

あと、こっからは多分、次の世代。僕はまだ若すぎると思われるかもしれないんですけど、ちょっと下の世代の皆さんが徐々に次の世代に引き継いでいくのがこれから来る役割なんだろうなと思うので、頑張っていきます、ということで。

永浦 ありがとうございます。最後に宣伝したいこととか言い足りないことなどあれば。

田中 言い足りないこと。そうですね。20代前半の頃にバイト中に流れていた音楽でMr.Childrenの「彩り」という曲があるんですけど。毎晩同じ有線がかかってるから大体時間帯一緒なんだけど、この時間帯そろそろ流れるなって思いながら「彩り」だってなってたんだけど。なんだろう。

自分は何やってるんだって思う時がくると思うんですけど、その時は「彩り」を聴くと、自分ももしかしたらそうなのかな、もうちょっと頑張ろうって勇気をもらえる曲なので、ぜひ聴いてみてください。

ってところで一曲聞いてください。

田中 Mr.Childrenで

田中・永浦 「彩り」

永浦 はい、他に宣伝することはないですか?

田中 ぜひふるさと体験村に。ご宿泊等しておりますので、皆さんぜひ来てください。お願いします。

永浦 お願いします。

田中 それと、米粉を開発中ですので。出来ましたらぜひご利用ください。

永浦 米粉!楽しみ。

田中 あとは、10月になったらまたお米が出来ますんで、広島の方は広島そごうの地下一階でお買い求めいただいて…。ですね。

永浦 ありがとうございます。以上で終わります。

田中 ありがとうございました。

永浦 ありがとうございました。

あとがき

聞きたいことがありすぎて、全然聞くことができなかった気がします。真也さんは太陽というよりは陽だまりのような人で、だから明るいけど眩しくなくてすごいです。以前お話を聞いた時にもおっしゃっていた、沢山の経験をしたからこそ言える「なるようになる」という言葉が響きました。悩んだ時には「彩り」を聴いて、また前に進んでいけたらいいです。

この記事を読んでくださったあなたの生活も沢山の色で彩られていきますように!

永浦

取材日:25.05.16