1/YASAKA 小松原修さん

「旗幟鮮明」 きしせんめい
_自分の立場や主義・信念をはっきりと表明すること。

まえがき

今回の聞き書きでは、小松ファームの代表・小松原修さんにお話を聞いてきました。弥栄で生まれ育ち、地域のこれからを考えて農業を選んだ小松原さん。人や町に真正面から向き合うその姿は、まさに「旗幟鮮明」。

“郷土愛のかたまり”とも言える小松原さんが、日々どんなことを考え、どんな思いで暮らしているのか。ぜひ読んでみてください。

目次

現在:「なんにもない」です。でもそれが悪いっていうわけじゃなくて。何もないから自分たちが考えて作っていける。

過去:僕のイメージする弥栄ではなくなってきてるなっていうのが、寂しい気持ちになったので。その土地とか集落のみんなで一緒になってできることをやりたいなっていうのと。

未来:誰かがやって、こういったことも出来るんだっていうのを見せないと説得力がないから、僕はそれにチャレンジする。

現在:「なんにもない」です。でもそれが悪いっていうわけじゃなくて。何もないから自分たちが考えて作っていける。

永浦 現在何のお仕事をされていますか?

小松原 農家をしています。葉物野菜を中心に栽培をしていて。今年はお米も始めるし、実はみかんもやろうかなと思ってます。

永浦 会社名は?

小松原 小松ファームです。代表をしています。

永浦 小松ファームさんは現在何人くらいでやられているんですか?

小松原 今ね、15人ぐらいですかね。で、ちょうど農業研修生が2人来てますね。

永浦 農業研修生はどういう制度なんですか?

小松原 今後農業を自立してやりたいっていう方が、いきなり来てやると失敗する恐れもあるので、とりあえず農家さんに入って作業をしながら自立を目指していくっていう制度が浜田市の中であって。それで今来ているという感じかな。

永浦 小松ファームさんは今年で何年目になりますか?

小松原 17年目です。

永浦 ハウスとか畑の面積はどのくらい?

小松原 ハウスは今58棟あって、面積で言うと1ヘクタールくらい。で、露地も1ヘクタールくらい。それと田んぼが0.4ヘクタールくらいかな。今は。

永浦 そうなんですね。これからもどんどん広げていきますか?

小松原 弥栄の中で今、区画整備っていうのがあって。今、杵束地区がもうやってるんですけど、今年度から安城地区の方でもやる。で、この集落は11ヘクタールくらいを僕がやることになってて。有機の人参をとりあえず作るっていう感じになっているので、プラス3ヘクタール一気に増えます。

永浦 すごいですね。ちなみに、1ヘクタールはどのくらい…?

小松原 え~とね、100m×100mだね。

永浦 今年、新しく弥栄町複業協同組合としての事業所にもなったじゃないですか。最初に組合が設立されますってなった時はどういうお気持ちでしたか?

小松原 一番は、正直なところ人手の確保とか人材を取り入れたいなっていう思いが、多分どこの事業所さんもあったと思います。でもその中でただ単に働いているとかじゃなくて、弥栄を見ながら溶け込んでいってほしいっていう思いがあって。

1年間の仕事量っていうと、うちで言うと大体3月~11月までフルマックスで忙しい。でも冬場はやっぱり仕事量が減るので、雇用を考えた時に一年を通して考えると結構大変なところもあるんですけど。でもそうじゃなくて、弥栄全体の中の仕事量で見た時には結構分散できるっていうのが分かって。

例えば、うちは冬は弱いですけど逆にやさか共同農場さんのところは冬はめちゃくちゃ忙しいんですよ。加工とかあるので。そういったことを踏まえて、こっちが忙しい時にはこっちを手伝ってっていうのを出来たらいいなっていうのが一番の組合の魅力かな。

あとは、やる人にしても色んなところを見れるっていうのがある。いわみ留学というのもあるんだけど、どっちかというと体験型みたいな感じ。でも、組合はガチのところなので、そういったところの違いもやっぱりあるかな。

永浦 ありがとうございます。弥栄を何も知らない人に一言で伝えるとしたら、どういうところですよって言いますか?

小松原 「なんにもない」です。皆さんが思っている以上になんにもないと思います。でもそれが悪いっていうわけじゃなくて。何もないから自分たちが考えて作っていける。

その中には地域の想いであったりとか、今まではこういった感じの弥栄っていうのがある中で、それを消すんじゃなくて、プラスしていく。新たな風を吹かせるっていう意味で面白いと思います。

僕はここ出身だからこういうことも言えるんですけど。でも何もわからない人が来たときにね、多分何もないなっていう感じだと。まあ、信号機もないしね。鉄道ももちろんないし。コンビニもないし。

その中でも生活していけるっていうところを、ないんだったら自分たちで作っていく。だけど作っていく中で、僕はコンビニは反対なんですよね。僕はいらないかなと思ってて。そういうのも大事にしながら、もし新しく入ってくる人がいたら一緒になってやっていきたいかな。

永浦 ちなみに、今年で弥栄何年目ですか?

小松原 弥栄何年目?僕が?生まれて...。今月誕生日なんですよ。誕生日なので、43年目。

永浦 おめでとうございます!

小松原 おめでとうございました。はい。

永浦 ちょっと話が変わるんですけど、お休みの日とかは何をしてますか?というか、お休みはありますか?

小松原 お休みか、、基本ないですね。

永浦 プライベートな時間はあるんですか?

小松原 プライベートは、冬は結構あるかな?お盆とか正月とか、ああいった時には休みがあるんですけど、基本的には日曜日が休みで。でも日曜日はね、まず野菜の配達はあるんですよ。だから基本丸々一日休みっていうのはないかな。

永浦 ああ...。気分転換とかリフレッシュする時間はどうやって作ってるんですか?

小松原 僕はね、夜かな。

永浦 夜。

小松原 夜。最近YouTubeが好きで、、見ますね。

永浦 どういうのを見るんですか?

小松原 釣りと政治と。あと何見るかな。やっぱり釣りが多いかな。アニメも好き。漫画本も好きなので、アニメ。今はね「BLEACH」観てる。

永浦 おお~。

小松原 また。もう何回目か分からないんだけど。観たりしてるかな。

永浦 釣りがお好きなんですか?

小松原 釣り好きです。

永浦 ご自分でもしますか?

小松原 しますね。

永浦 最近行きましたか?釣り。

小松原 最近イカ釣り行きました。家族で。

永浦 わあ、どこに?

小松原 浜田の瀬戸ヶ島、あの港のところかな。7杯釣ったかな。

永浦 ご家族で。

小松原 そう。でもガチの釣りはずっとできてないかな。やっぱ子供がいると危ない所に行かれないし。ガチの釣りってなると一人で行きたいっていう感じになるので、仕掛けとかも違うから。ファミリーフィッシング的な感じのことはやってるかな。

永浦 お子さんはおいくつなんですか?

小松原 今、高2と小3と小1の3人。女、女、男、ですね。

永浦 仲はいいですか?

小松原 仲はいいですけど、喧嘩は絶えんですね。

永浦 そうなんですね。ありがとうございます。

過去:僕のイメージする弥栄ではなくなってきてるなっていうのが、寂しい気持ちになったので。その土地とか集落のみんなで一緒になってできることをやりたいなっていうのと。

永浦 じゃあ、過去の話に移っていきたいと思います。幼少期はどんな子でしたか?

小松原 あ~わんぱくだったと思いますね。丁度昨日もそういう話をしてたんですけど。蛇なんかしっぽを持ってぐるぐる回しながら友達に投げて遊んでたりとか。あと昔でいうチャンバラごっこみたいな。竹を切って木刀みたいな自分らで作って、それで戦いごっこみたいな。あとは、弓矢を作ったりね。

永浦 弥栄小学校ですか?

小松原 ええとね、安城(やすぎ)小学校だった。昔は。

永浦 何人くらいいたんですか?

小松原 僕の同級生は20人。

永浦 今でも関わりはありますか?

小松原 あるね。まあ弥栄にいる人もいるし。でも、ほとんど残ってないかな。

永浦 幼少期に一番好きだったものとかありますか?

小松原 釣り。

永浦 釣り?

小松原 やっぱり釣りが好きですね。

永浦 川とかで?

小松原 川とか海とか。親父も釣りするので、小学校ぐらいから大体休みの日になると釣りに行こうって言って。でも親父も田んぼやってたから。農業とか草刈りが終わってからねとか、そんな感じでしたね。

永浦 何の教科が得意でしたか?小学校の時。

小松原 なんだろう。やっぱ体育とかじゃないかな?体を動かすことが好きだったので。柔道もちっちゃい頃やっとったし、野球もやってたし。

永浦 色々やってたんですね。

小松原 そう。でも、一番目覚めたのはやっぱりバスケットボール。

永浦 何歳からやられてたんですか?

小松原 僕が小学校の5年生くらいからスラムダンクが出て。そこからバスケットって面白いってなって。

でも、友達とか学校の人らはサッカーとか野球とかが好きだから、休み時間とかは僕ともう一人バスケットが好きな子がいて、大体その子と体育館でやっとったっていうのがあるね。

永浦 習い事とかでやってたわけではない?

小松原 習い事はね、ないんよ。習い事でいうと野球と柔道。あとそろばんとか。

永浦 そろばん、!

小松原 そろばんもねあったんよ、昔。あと習字とか。ちょっとやっとったね。

永浦 小学生の時の一番の思い出とかありますか?

小松原 思い出っていう思い出はないんだけど、学校の前に川があるんですよ。そこで昔は釣りをしてたんですよ、休み時間に。ご飯が出てそれを餌にして、塀のところからピッて投げて釣って遊んでて。

その時に結構でかい、この辺でいうと「ゴリ」とかっていう「カジカ」っていう魚がいるんですけど、30㎝くらいのめっちゃでっかいやつを釣ったのがいい記憶。しかも釣りなんよね。学校とか関係ないんだけど。

永浦 何年生くらいの時ですか?

小松原 4年生くらいだったかな。あの時はね釣りとか全然してもよかったし、釣り竿とか学校においてあったんよね。授業の一貫でみんなで釣り大会しようとか。なんか学年とかでなかった?なんとか学習みたいな感じでみんなで一緒にできること、何かドッチボールしようみたいな。 

永浦 ああ~ドッチボールとかはあったかもしれない。

小松原 その中でうちらのクラスは釣りしようっていうのがあったんよ。

永浦 面白いですね。今と修さんが小学生くらいの時で弥栄の風景は結構変わりましたか?

小松原 昔の校舎は壊して、今の新しい校舎が出来てるから全然違うっちゃ違うんだけど。学校っていうだけじゃないけど、やっぱちょっと堅苦しいよね。

永浦 今?

小松原 今。社会のルールとかそういうのも厳しくなったりとか、昔はそんなことなかったんよね。

それが正解っていうとまあそうでもないかもしれないけど。でもなんかどうなんだろうね。もうちょっと、そこまでガチガチに固めなくてもいいんじゃないかなとは思うんだけどね。

永浦 ありがとうございます。じゃあ次は中学校に。中学校は弥栄中ですか?

小松原 そう、弥栄中。

永浦 中学校はどんな子でしたか?

小松原 中学校はね、そのままだね。運動も好きだし。あ、でも英語はすごく苦手。英語と国語は苦手。でも算数は好きだった。数学とか。

永浦 そろばんの成果が。

小松原 あるんかな分からんけど。数字は好きだった。

永浦 中学は何部でしたか?

小松原 バスケ部。

永浦 そこで部活に。

小松原 そうそう、初めての部活だったね。

永浦 周りからはどういう風に言われていましたか?

小松原 どうなんだろう。...でかいやつ。

永浦 昔から背は高かったんですか?

小松原 高い方だったね。中1でもう170㎝くらいあったんよね。で、中3で179㎝と、まあ10㎝くらい。高校で3㎝くらい伸びて、、そこで止まったんだけど。

永浦 大きいですね。あ、じゃあ、中学生の時とかに好きな野菜はありましたか?

小松原 ない!野菜は基本嫌いなんよね。けど玉ねぎは好きかな、ときゅうりと....だいこん。それぐらいかな。

永浦 ご飯は何が好きだったんですか?

小松原 ご飯はねぇ....牛乳。ご飯というより牛乳?

永浦 牛乳??

小松原 牛乳をね、1日2ℓくらい飲みよった。

永浦 1日???

小松原 うん。1日。本当に。高校生の時とかも、ご飯の時のお茶とか水とかの代わりに牛乳を飲みよったね。

永浦 それで背が伸びたんですかね。

小松原 うん。なのかもわからんし。家の冷蔵庫には5.6本入ってて、でもなくなるんよっていう感じだったね。あと、食事の面はうちのおかんが料理好きだし。学校の給食を作ってたから。その辺でバランスもやっぱりとれとったんかなっていう風に思う。

あとは中学校の担任の先生。3年間一緒で。もともと野球部の監督だったんだけど結構厳しかったんよね。

厳しいんだけど、1年生の時はお前ら勉強なんかせんでもいいけ、とりあえず慣れろっていう感じで、2年生からはちゃんと進路を考えて勉強を始めるぞ、3年生はもう勉強だけっていう先生で。あの当時先生の中で多分1番厳しかった。普通にしばかれて。バスケ部の顧問の先生でもあったし。

あと勉強だけじゃなくて。「給食を一切残すな」っていう。それはあったね。だけ、その先生になってから学校で残っとる給食は3年間ゼロ。廃棄なし。

永浦 すごい。

小松原 あれはすごいなって思った。

永浦 嫌いな食べ物があった時は無理やり頑張って食べる?

小松原 食え食えって。で、他の学年からも持ってくるけぇね。「お前ら食えよ~」って。だけ、めちゃくちゃ給食食いよったと思う。無理やりもあったね。もう食えません...って。で、先生は給食食わんのよ。みんなに配るの。

永浦 え、自分は?

小松原 理科の先生だったんだけど、味噌汁とかビーカーかなんかに入れてアルコールランプでやったりとか。そういう先生。自分のはあんまり食べんかったね先生は。

永浦 面白いですね。

小松原 毎日誰かに「お前これ食え」って言って、そういう感じだったね。で、全部配り終えたら他の学年のところに行って「残っとったで」って。だけゼロ。その3年間。そのあとはもう知らんけど、その間はずっと廃棄ゼロ。それはすごかったなと思う。そういう教えだったけぇ。

永浦 そこで食の大切さを学んだんですか?

小松原 それはやっぱり思うね。そこで食事って大事とか破棄するのがもったいないとかそんな感覚になってたんかな。うん、それはあるかもしれんね。

永浦 学校の部活以外で中学校は何かやってたりしました。

小松原 ないね。もう本当にバスケばっかり。高校もしかり。

永浦 あ、じゃあ高校に。高校は浜田ですか?

小松原 浜田の商業高校に。

永浦 商業高校ってどういうことをするんですか?

小松原 ええとね、情報処理。プログラミングとかやってたんですよ。

永浦 数字が得意だから?

小松原 いや、でもあんま好きじゃなかったかな。プログラミングはちょっと苦手だったね。文章を打つのが結構苦手なんですよ。国語もしかり。だからあんまり得意ではなかった。もちろん簿記とかそういうのもやるけどね。商業だから。

永浦 高校もバスケ部?

小松原 バスケ部。高校こそ本当にずっと部活があったから部活しに行ってるような感じだったかな、どっちかというと。やっぱ面白いし。

永浦 高校時代の一番の思い出は何ですか?

小松原 思い出はやっぱり部活じゃない?ずっとバカみたいにやっとったね。休みなくずっと部活してた。

永浦 どうしてそんなにバスケが楽しかったんですか?

小松原 何だろうね。走ることとかが好きってわけじゃないんだけど。種目にもよるけど、陸上って絶対限界があるじゃないですか。いくら足が速くても。でもバスケって頑張れば違ったスキルがアップできるんですよ。点とればいいとかちゃんと守ればいいとかルールの中で。だけ限界がないんですよ。100%シュート打ったら入るとかないけど、その確率を高める。100%を目指すっていう達成感があるかも。あと団体競技っていうのも面白いかもしれない。一人じゃなくてチームで。

永浦 人が好きですか?

小松原 人は好きですけど、あの、ブロックしがち。相手が来たら打ち解けるけど、自分からガツガツ行くタイプではない。

永浦 そうなんですか?

小松原 酔っとったら分からんけどね。高校生の時は自分でグイグイいくような感じではないね。

永浦 じゃあ友達が多いっていうわけでもなかったですか?

小松原 いや多かったんじゃないかな。

永浦 みんな大体友達?

小松原 そうだねえ。学年でもそうだけど、情報処理科ってどちらかというとレベルが高い、商業の中ではレベルが高くて。学年でのテストでも情報処理がトップなんよ。でも、うちらのクラスって変わっとって。ガリ勉のクラスじゃなくて、めちゃめちゃ明るいクラスだったんよ。

スポーツができるやつも多いし、だけ、先生らも「情報処理科ってこういう感じの雰囲気じゃないんだよね」ていう感じなんだけど、うちらのクラスだけ全然違った。めっちゃ明るかった。馬鹿なことも色々やって怒られたけど。だけ、クラスが良かったのかな。

永浦 じゃあ楽しかった?

小松原 うん、楽しかったね。部活も楽しいし、勉強はそうでもないけど日常の生活が楽しかったかな。

永浦 では高校卒業後のことをお聞きします。高校卒業後はどのような人生を?

小松原 高校卒業後は...僕は都会が嫌いなんですよ、人混み多いところが。バスケで推薦もあったんです。大学でね、あったんだけど断って。浜田の土木関係の、資材の販売や営業かつ配達とかもするんだけど、その会社にとりあえず行きました。理由っていうのはなくて、とりあえず市内のどこかで働ければいいかなぐらいだったかな。

永浦 何年くらい働いたんですか?

小松原 5年間。次の職に移るのも最低5年はいた方がいいよっていうのは言われたんよね。その会社でね。だから5年間はとりあえず頑張ろうかなみたいな。で、その会社が良ければよかったんだけど。その当時公共事業削減とかっていうのもあって。そうなると工事が少なくなるから、資材も出ていかないじゃないですか?だからこの業界で大丈夫なのかなって思ったのが一つと。

あとは会社の中でなんだけど、所長は営業は数字だからって言うんだけど。だけど、僕2年で係長より売り上げとったんですよ。1億まではいかんかったけど、7、8千万ぐらい売り上げあげて。でも結局年齢給みたいな。それがちょっとね、納得いかんくて。

それで会社的にも数字って言うんだったら、いや係長より売り上げてるのに係長の給料はいい。でも自分はあんまり変わらずみたいなのがなんか面白くないなって。それで頑張る気が失せたって感じかな。毎日20時とか21時とかまで仕事な感じで。なんか面白くないなみたいな。

で、その時に地元がやっぱり好きだから目を向けた時に、段々人が減る、農地が荒れてきてる、なんかこのままじゃまずいなって思って。僕のイメージする弥栄ではなくなってきてるなっていうのが、寂しい気持ちになったので。

その土地とか集落のみんなで一緒になってできることをやりたいなっていうのと。あとは、農地を何とかしないとって思いもあったので。だったら農業だなと。でも当時農業なんてそれ一本で生活できるわけないでしょ?みたいな雰囲気だったし、親にももちろん反対され。地域の人もまた小松原家が馬鹿なことをやりよるでみたいな。そんな感じで見られたよね。やっぱり最初はね。

普通の農業だとちょっと難しいかなと思うんだけど、そうじゃなくてその当時まだ有機農業っていうのがそこまで浸透していなかった。
生産者もまだ少なかったから。浜田市に有機のグループがあったんよ。今の有機の会。そこに弥栄の先輩もいて。バスケの。社会人になってもバスケはやってたので、一緒のチームだったし。それで「お前農業してみんか?」っていうので、ちょっと勉強してみようかなって。

でも僕、農業が一番嫌いだったの。ちっちゃい頃から。親の手伝いとかも農業絶対嫌だ!とかそういう感じだったけど、けど好き嫌いっていうよりかは、地域を何とかしたいっていうので農業を始めるっていう感じで。僕も農業研修生の制度で2年間研修を受けて。1年はそのグループのトップの農場に、半年ぐらいかな、行きながら自分のハウスを建てる段取りとかっていうのをやるっていう感じだね。

永浦 最初に地域のことを考え始めてから行動に移すまではどのくらいの期間があったんですか?何歳くらいの時に?

小松原 23歳の時にはもう会社を辞めて研修を受けようと思ったので、22歳くらいかな。考え始めて、会社を辞める1年半前くらいに農業しようかなみたいな感じだったね。

永浦 その時にはもう先輩にお話ししてたんですか?

小松原 うん、してた。

永浦 最初、農業を始めるってなった時に一番大変だったことは何ですか?

小松原 やっぱり金がない。事業を始めるのにも資金がないので、ほとんど借り入れだよね。個人で借りられる大体のマックスが3000万ぐらいってその時は言われてて。で、やっぱりマックスくらいまで行ったね。3000万くらい。その覚悟がある方はどうぞって感じのそういう世界なの。やり始めたらもうストップが効かない。もう投資もしちゃってるから。

僕の場合はここが地元だし、ここで何とかしたいし、そういう思いがあるから。別に例えば失敗した時でも家を一軒建てたと思えばいいや、みたいな。でも返していける自信もあったし。勢いだよね、本当。で、ちょうどその時に嫁さんと結婚して、独立する時に。で、一緒にやるっていう感じ。

永浦 農業研修を2年やった後に、小松ファームとして独立されたんですか?

小松原 いや、平成26年に法人にしたんですよ。それまでは個人。一応名前は小松ファームとしてつけていたけど、個人で。

永浦 奥さんはどういう反応だったんですか?

小松原 寿司を握っていたから、全然畑違いのところに行くことになって。で「農業できる?」って聞いたら「やったことないから分からない」っていう風に最初言われて。一緒にやってもらって助かってるけど、僕も正直分かんないですよ。でも研修を2年やって、これだったらなんかいけるかなっていうのも研修中に思った。

永浦 どういう時にやれるなって思ったんですか?

小松原 そうだな。最初の1年は分かんないから、がむしゃらに作業したりとか覚えていって。2年目からは逆に任されるようになって、それで結構これだったらいけるかなっていうのがあった。

永浦 自信に繋がる、、

小松原 そうそう。で、任されるようになって。もう受発注とかも全部やったよね。資材購入とかもやったし。で、そこにも従業員の方がいるんだけど、パートさんみたいな。その人たちへの指示もやったりとか。だけ、もう経営者みたいな感覚で2年目はやった。それをやらさせてもらえたけ、出来るなっていう感覚になったし。そこまで行くともうやっちゃるぞみたいな感じよね。

永浦 最初は何人から始めたんですか?

小松原 最初は僕と嫁と、あとおばあちゃんがたまに手伝いに来てくれて、っていう感じだった。作業も今の予冷庫があるところで。

永浦 あそこで?小さいですね。

小松原 そうそう元々予冷庫はなかった。

永浦 あそこを作業スペースに、

小松原 だった。で、スタートはとりあえずそこなんだけど。研修中にちょっと離れた三隅の方に「中古のハウスがあるけどいる?」っていう風に言われて、じゃあ「いります」って言って。休みの時に家族で解体しに行って、それを引っ張ってきて立てたのが集会所の前にあるハウス1・2・3というところなんだけど。それが一番最初に建てたハウス。

それは研修中の休みの日に建てた。で、研修のお金っていうのは全部そこの資材に充てたから、要はお金がないんですよ。一番助かったのは、家はとりあえずあるし、生活費も正直おんぶにだっこで。嫁ももうこっちにいるし。寿司屋の店長をやってたから、そっちに行ったり、休みの時はこっちに来たりしてた感じかな、研修中は。

事業をスタートする前に、もう一応ハウスが3棟あるので出荷はできるわけですよ。朝収穫して、野菜を置いといて。で、嫁が日中調製して。夕方になったら僕が帰ってきて、そのできたものを青果市場に持っていくみたいな感じ。

永浦 市場に。

小松原 そうそう。配達で。そういうのやっとったね。

永浦 売り出しに行ってたってことですか?契約を結ぶとかじゃなく?

小松原 いや。契約は結ぶ。結ぶんだけど、青果市場って結局持って行ったら競りになるんですよ。だから値段も乱高下ある。いい時もあるし、悪い時もある。

永浦 最初は何を作ったんですか?

小松原 小松菜。やっぱり作りやすいから。

永浦 小松菜から始めてそのあとはどうしたんですか?

小松原 小松菜、ほうれん草だったかな。1年目は、小松菜、ほうれん草、あと水菜の三品目をとりあえず頑張って作ろうと思って。その後にネギをちょっと増やして。

で、一年目にハウスを12棟建てたんですよ。だけ、中古のハウス3棟と12棟の合わせて15棟で一年目スタートって感じだった。2年目に9棟建てて、3年目に3棟。で、そこまででハウス面積で言うと50アールくらい、今の半分よね。ぐらいを1、2、3年に一気に建てた。元々10年の計画だったんだけど、短縮して3年でやったんよ。

永浦 もうやっちゃえ~ってなったんですか?

小松原 やっちゃえというよりはお金を借りるのに据え置き期間を2年取ってもらったんだけど、だからもう2年で売り上げを確保しないといけないっていうのがあったから、10年じゃ足らないんですよ。だから、計画を前倒しにして据え置いたところの分でとりあえず売上を確保して。後は地域の人もやっぱり巻き込んでやりたいっていうのでそこまでいった。家族だけだったらもちろんそこまでやってない。

永浦 何年目くらいから、修さんが最初に元気にしたいと思っていた弥栄がちょっと元気になってきたかもって思えたんですか?そういったタイミングはありましたか?

小松原 5年目くらい?法人にする前にそう感じたので、始めてから5年目かな。1、2年目は本当にがむしゃらで。自分のところを何が何でもやらなくちゃっていうので。3年目くらいから面積も増えて、ある程度安定してきたかなっていう。人に手伝って頂いたりして。


それから、近隣のところがうちの土地も使いんさいやっていう感じになってくるんよ。「もう米やめようと思うし使ってほしいんだけど。どう?」って言うけ、「ああ、いいんですか?」って。で、土地を貸してもらっている人も手伝いに来てくれたりとか。その辺が一番楽しかったかな。地域で一緒にやってるっていう感じがあって。

でも、だんだんそれも変わってきて。周りの目がようやく向いてるなっていうか、一緒になってできてるなって感覚が始めて5年。法人にした時に、今まで働いていた方が年配になられて「さすがにちょっとリタイアさせて」って言って、逆に地域に人がいなくなったんよね。一緒にやってもらえる人が少なくなってきてて。で、人がいないとやっぱ回していけないところがあって。そうなった時に技能実習生であったりとか研修生の人らも入ってくるようになって。で、今に至るって感じかな。

永浦 ありがとうございます。「有機農業」っていうものに対しての想いとかありますか?

小松原 有機農業への想い?昔、家庭菜園でおかんがほうれん草とか作っとったんだけど、すっごい苦かったんよね。ほうれん草とかえぐみがすごいっていうイメージがあったんだけど、今はそんなことない。それは栽培する人によって肥料のバランスが違うからで。うちのおかんも「有機だから美味しいんじゃない?」って言うんだけど。それ以前に肥料のバランスを考えて作るっていうのが面白いかな、有機農業とは別で。

自分の考えた肥料とか作業とかをやった時に野菜がばっちり美味しく出来たっていうのがめちゃくちゃ嬉しくて。僕は消毒とかを使えないけどそれでもちゃんとできるっていう。あと僕は有機農業から農業をスタートしていて、有機が当たり前だよねっていう感覚でいるから、それはもう苦にはならんし。でも面白いのはやっぱり自分がイメージしている通り野菜が出来たらやっぱり嬉しいよね。後は食べてくれる方が美味しいって言ってくれることが一番いいけど。

永浦 農家さんをやっていて一番嬉しいとかやりがいを感じる時はどんな時ですか?

小松原 やりがいは食べてくれる人が美味しいとか、やっぱり弥栄のものって美味しいねって言われる時。今でも浜田に納品する時にお客さんから言われるけん。「弥栄ってやっぱりお米も野菜も美味しいね」っていうのを直接聞くので。

でもそれって僕からスタートした情報ではなくて今まで弥栄でやっていた生産者の方がいたからそういった情報になってるわけじゃないですか。だからそれは嬉しく感じるし、それを崩すようなことをしたらいけないなっていうのもあるし。

未来:誰かがやって、こういったことも出来るんだっていうのを見せないと説得力がないから、僕はそれにチャレンジする。

永浦 ありがとうございます。じゃあ未来の話に。

小松原 未来は、今のやり方を維持していくとちょっと衰退するんじゃないかなって思う。だけ、今ある現状を維持しつつ新たなこともチャレンジする。で、弥栄に魅力を感じてもらった人に弥栄に入ってもらって一緒に盛り上げていきたいなっていうところを目指したいですね。

そのためには誰かがやって、こういったことも出来るんだっていうのを見せないと説得力がないから、僕はそれにチャレンジする。

僕がやって、もちろんいっぱい失敗してきたけど、それがないと何も変わらないじゃないですか。新たな魅力を発見するじゃないけど、それも楽しいかなって。弥栄でみかん?って思いません?

永浦 びっくりしました。

小松原 それなんですよ!それを僕はやりたい。

永浦 気になりますね、味とかも。楽しみ。

小松原 でしょう。なんかそういうのも含めて、チャレンジしつつも注目を集め続ける。小松ファームって色々やってるよね、バカみたいにやってるよねっていう。いいんですよそれで。あの、でも大ダメージはダメよ。経営に左右されるような大ダメージはダメだけど。

その中で経営はちゃんとして、でも新たな試みをちょっとずつ。だけ、年に一回は色んなことをしたい。品目を増やすとかこんなことにチャレンジしようっていうのが自分の中で思っているんで。去年は大豆をやったんですけど。今年は、2つあるな、米とみかん。

永浦 チャレンジ。

小松原 そう、チャレンジ。

永浦 じゃあ、弥栄はこれから先こうなってほしいみたいなのありますか?町として。

小松原 やさかプロダクツの中でもあるんだけど、人口1000人を維持したい。でもこれが2000人っていうのは僕は嫌だ。嫌だっていうか多分無理。窮屈になる、多分。そうではなくて、1000人くらいをずっと維持出来たらいいかなとは思うよね。

永浦 修さん個人としてやりたいことは?

小松原 釣りかな。

正直会社は僕の代で終わってもいいと思ってる。でも、次の人がこういうことをやりたいっていうのがあったらそれはバックアップするし。もちろん今からもしていくし。

そこで僕らみたいな。今弥栄は僕らの世代がいい感じなんよね。若いもんで色んなことをやるっていう。そういうことをやるから永浦さんとかも来てくれたし、そういった子たちも今後関わりが増えていくと思う。

でも、次のステップはあなたたちなんですよ。何本もある道筋をつけていってあげるのが僕らの世代かなって思う。本当に今後っていうのはあなたたちの世代。

地域の人もそうだし、Uターンして帰ってくる人もそうだし、なんか弥栄って面白いことやってんなっていうのが一番大事なんよ。農業で、とか弥栄でも生活できるんだっていうのが分かればいいわけで。

そういうところで魅力を感じてもらえる弥栄っていうのが次の目標かな。次の世代の人がやりたいって思える仕組みづくりが大事よね。伝統芸能もしかりね。

永浦 うわ、、、神楽のことも聞きたかったんだった。

小松原 何ですか、どうぞ!

永浦 神楽は何歳からやっているんですか?

小松原 保育園だね。保育園の生活発表で披露があるので、弥栄の子らはみんな年長になるとやる。

永浦 神楽は習い事とはまた違うんですか?

小松原 習い事とはちょっと違うかな。

永浦 そもそも生活の中にあるもの?

小松原 僕は。みんなそう思ってるわけではないとは思うんですけど。でも、お祭りなんですね。宗教って言えば宗教なるんだけど、結局神事だから。

神様にお願いするっていう文化がこの地域にはあって。神様を大事にする。だから神社があったり。そういう感じの文化がずっとあるから神楽も生活の中にあるよね。年に一回は地元で神楽があるから、ちっちゃい頃はやっぱり楽しいし面白い、でも鬼は怖い。そんな感じ。

永浦 神楽の一番の魅力というか、好きなところはどこですか?

小松原 好きなところ...ひとつになることかな、みんなが。社中もそうだし、見てる周りの人らもひとつになる。それは神様に対して一緒に楽しみましょうっていうのが前夜祭の神楽の1つなのね。それが、ひとつになるっていうのがやっぱり好きかな。みんなでワイワイしながら神楽をやるっていうのがいいよね。

当日もそうなんだけど、準備段階も。地域で準備するとか草刈りをやるとか。それがやっぱいいよね。準備してみんなの気持ちが一緒になって、ひとつになるっていう、それがいいところじゃないかなって思いますね。

永浦 何の演目が一番好きですか?

小松原 今は神迎(かみむかえ)。一番最初にやる、神様を迎えて、来てくださいっていうもの。一番最初はやっぱり鬼とか大蛇とかだったんだけど、今は神迎が好きですね。

永浦 なんでですか?

小松原 なんかこう、派手さはないんですよ。派手さはないけど、この舞をすることによって、ちゃんとここに神様を迎えるというプレッシャーしかり。でもそれを考えながらできるっていうのがあるかもしれない。鬼とかだったら結局その鬼の動きをしようとか、全部違うんですよ。そういうのを考えるのも好きなんですけど、でもやっぱり神迎はいいですね。自分らで歌を歌いながらやるし、4人が一緒になってっていうのもあるし。うん、好きですね。

永浦 ありがとうございます。最後にこれから組合や弥栄にこういう人が来てほしいなとかはありますか?

小松原 元々組合を作ったっていうのが、もう少し弥栄に興味を持ってもらいたいというのが一番大きいと思うので。そうだな...人付き合いが出来る人。自分で壁を作るような人はちょっと難しいかもしれんね、色んな事業所に行くわけだから。自分から壁を作っとったらどこに行ってもトラブルとまではいかなくても、どうなのかなっていうのはあるかもしれんね。

今後どうなるかは分からない、絶対弥栄にいれっていうわけではないから。来て初めてそこの良さが分かってくると思うので。だけ、とりあえず来てくださいって感じかな。

永浦 修さんはこれからどういうおじさんになっていきたいですか?

小松原 釣り好きのおじさん。子供たちから釣りの達人とかそんな感じに言われたことがあって。

なんかのイベントをしてた時に鯉を釣ったんよ。「あそこおるよ」って言ったら「いや釣れんし」って言われて「貸してみぃや」って言ってピーってやったら鯉釣れたんよ。そしたら「マジ名人じゃん!!」みたいな。だけ、そんな感じで子供らと接することができたらいんかなっていうのはあるよね。楽しいおじさんではおりたいね。そういう感じを目指したいね。

永浦 若い世代に伝えたいこととか、小松ファームの宣伝とか、言い足りないことがあったら放出してください。

小松原 外に向けては、やりたい人は来てください。でも逆に、脅しじゃないけど入ってきたら中々抜けれんよっていう。その覚悟があるんだったら一緒にやっていきましょうやっていうことで。

僕は弥栄が地元の人だから言えるんだけど。でもね、来られる方は結局地元っていうあるわけじゃないですか。だから、先ではね地元愛が大事っていうのはあるじゃないですか。だから第2の故郷的なものを一緒に作りましょうっていうところかな。自分の地元が一番大事っていう、あ、嫌いな人もおるんかな。それは分からんけどまあ第2の故郷を目指しましょうっていうのが言いたいかな。

小松ファームは、毎年1個はチャレンジしていくので、そのチャレンジを一緒にしていきましょうっていうところですかね。あとは、みんなでワイワイっていうのを目指しているので、仕事ができるとかそういうのは人それぞれのスキルもあるし、それに対して言うこともあるけど、それよりもコミュニケーションを大事にしたいね。だから殻に被っている人は難しいかもしれないけど...まあ1回一緒に呑んだら仲間っすよ。そんなところかな。うん、明るい会社です。

...逆に質問していいですか?

永浦 あぁ、はい。お願いします。

小松原 どういうところを目指してますか?今後。面接のときに色々聞いて、とりあえず弥栄のことをもっと知りたいってことだったと思うんですけど。

永浦 今までずっと便利な環境にいて、なんでも手に入るし欲しいものはすぐに買えるところだったんですけど、ここではみんなで作りたいというか、そういうのを大切にできるようにしたいし、そういう町を守りたいなって思います。

小松原 いいですね。

永浦 ありがとうございます。これからよろしくお願いします。

小松原 よろしくお願いします。

永浦 以上....他に言い足りないことはないですか?

小松原 言い足りないこと?さらに絞り出せと。

永浦 夏野菜のおすすめとか。

小松原 夏はね、うちは今からピーマンの定植とかをやるんだけど、うちのピーマンは苦くないのよ。

永浦 ああ、子供は苦いからピーマンが苦手って言いますもんね。

小松原 そうそう。うちのは苦くないと思う。

永浦 じゃあ食べてもらわないとですね。

小松原 生でね、がっしりいってもらいたい、かな。

永浦 ありがとうございます。以上です。

小松原 ありがとうございました。

あとがき

今回お話を聞いて、修さんと初めてお会いした時に樹齢100年の木のような人だ!と感じたことを思い出しました。深く根を張り、力強いのにしなやかで、それでいて親しみやすい方です。地域を愛する人がいるだけで、それが地域の魅力に繋がるということが分かったような気がします。守ることとチャレンジすることのバランスは難しいかもしれませんが、その難しさも含めて一緒にチャレンジしていきたいと思いました。

この記事を読んで少しでも弥栄に興味を持ってくださった方がいたら、ここを第2の故郷にしてみませんか?

永浦

取材日 25.05.15

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